拾参
之伍

詐称

ぽてち様に捧ぐ

 龍麻と京一が持ち込んだ武器・道具類をチェックしていた如月は、ふとその手を止めた。
眉を顰め、そのまま龍麻の顔をじっと見つめる。
 嫌な予感に駆られたらしい京一が、「何見てやがんだよ」と言いかけたが、一瞬早く、如月の両手が龍麻の頭を包み込むように掴んでしまった。
そしてそのままグイッと引き寄せ、…あろうことか、龍麻の黒髪に顔を埋めたのだ。
…………ッッッッ!!!!」
声にならない叫びを上げる京一など無視して、すぐに如月は龍麻を解放した。
「…龍麻。まさかとは思うけど…君、煙草なんか吸うのかい?」
 何のことか判らない様子の龍麻は、とりあえずフルフルと首を横に振っている。
「そうか…しかし、君の髪や制服から、煙草の匂いがするようだから…。…いいかい、龍麻。煙草は昔から百害あって一利なしと言われるように、まだ成長期にある未成年が吸っても良いことなど何一つないんだ。大人になってから吸う分には構わないが…まあ、僕はどちらにしろ好きにはなれないけどね。大事な骨董品に匂いが付くし、刺激の強い嗜好品は五感を鈍らせるからね。」
 滔々と説教を始めた如月に、怒りから頭が真っ白になっていた京一が、ようやく言語中枢を回復させて怒鳴った。
「…バッカヤロウ! ひーちゃんがタバコなんか吸うかッ! んなことよりてめェ、とんでもねェことしといて、サラッと流してんじゃねェよッ!」
「とんでもないこと…? 何のことだ? それより、君からもどうやら同じ様な匂いがするようだな。二人してどういういかがわしい場所に出入りしているんだい?」
龍麻の時と違い、露骨に嫌そうな顔を背けて、京一に手を振る。犬を追い払うような仕草で。
「ふッ…ふッ…ふざけんなッ…てめェ…今…あんな…ひ、ひ、ひーちゃんにキ、キキ、キッ…」
「大変な誤解をしているようだな…。自分の欲望を他人に投影して、歪んだ視点で憶測するのはやめてもらえないか。僕は単に、龍麻の髪から煙草の匂いがするのが気になっただけだよ。」
「よッ…よッ…よくッ…」
 顔を真っ赤にしたまま絶句した京一に軽く侮蔑の視線を投げた後、龍麻の方を向き直ると、如月は優しく窘めるような笑顔を浮かべた。
「ここに来る前に、どこに行ったんだい?」

 しかし流石の如月も、龍麻の答には本気で驚いた。
……カラオケ…ボックスに。」
「か…カラオケ? …君が?」
まじまじと龍麻を見つめ、それから右手を顎にあてて少し考える素振りをした後、如月は更に尋ねた。
「…そんな処、良く出入りするのかい? …制服で?」
「今日はたまたまだッ。…ここに来る途中、雨紋たちに偶然会って誘われたんだ…。」
 憮然とした様子で、代わりに京一が説明する。如月に応えるのは嫌だが、龍麻に妙な嫌疑がかかったままでは、また先刻のような偉そうな説教が始まって、もっと嫌な目に遭うことを察したのだろう。
「ふうん…。まあ、君は優しいから、断れなかったんだろうね。しかし、カラオケとは…。」
 龍麻とカラオケのイメージが繋がらないのだ。しきりに首を捻る様を見て、急に京一は余裕を取り戻したように態度を変えた。
「ヘッヘッヘ。ひーちゃんの歌はスゲェんだぜー? 全く、てめェにも聴かせてやりたかったぜ。な、ひーちゃん?」
 照れているのか、本気で謙遜しているのか、龍麻は小刻みに首を振って否定している。
しかし京一は構わず続けた。
「まー最も、如月のヴァカ旦那は、カラオケボックスなんて俗っぽい場所には行かないでしょうからねええ。ひーちゃんの歌なんか一生聴けねェよなあ。気の毒だねェ〜。なァひーちゃん。」
下らないことながら、威張れる要素が一つ見つかったお陰で、京一はここぞとばかりに反撃してきた。龍麻の首を抱き寄せ、ニヤニヤと勝ち誇っている。
 カラオケなぞ、一生縁がなくて結構。
そう思ってはいるが、京一がアホ面を更に間抜けにして自分を見下しているのは我慢がならない。
 それに、龍麻の歌を聴いてみたいというのは確かにある。
一体何を歌ったんだ? どんな感じなんだ? 龍麻は歌うのが好きなのか?
 だが、その問いを言葉に出せば、阿呆猿が増長するだけであることを、如月は知っていた。
「…ふん…。僕だって現代に生きる高校生だということを、忘れているんじゃないのか? 京一君。」
「…へッ?」
「カラオケの一度や二度、やったことがないと本当に思っているのか?」
「…お、お前が…カラオケを?」
勿論やったことなどない。だが、どうしてもサルのにやけ面を見ているのが我慢出来なかった。
 思った通り、京一の顔は、憎らしい優越の表情から驚愕の表情へと変わる。
「ひーちゃんの歌よりショックだぜ…」
ぶつぶつと、取りようによっては失礼な台詞まで吐いている。
「まァ、カラオケボックスへの出入り自体は禁じられてはいないからな。だが、これからは気を付けたまえ、龍麻。学校帰りに寄って、補導などされたら大変だろう?」
 泰然とお説教を再開しながら、内心ほくそ笑んでいた如月は、だが次の瞬間自分のミスに気付いた。
「…そーかい。それなら今度、カラオケにご一緒願いたいね、如月先生。」
………!」
「そこまで偉そうに言うなら、余程自信があんだろ? まさか行かないなんて絶ッッッ対言わねェよな。なあひーちゃん。お前も聴きたいよな?」
 しまった…そう来たか。
しかし総ては遅かった。適当な言い訳をして逃れる前に、龍麻が素直にコクリと頷いてしまったのだ。
「だろッ? 聴きたいよなー、ひーちゃんッ。さぞかし上手なんだろうなー。いやあ、楽しみだぜ。それじゃ気の変わらないウチに、今度の土曜日、新宿駅前6時集合な。適当にみんなも集めとっからよ。あー楽しみだぜッ!」
 早口で勝手に日取りを決めた京一は、狼狽する如月に口を挟む隙を与えない。
「…当日になってハラが痛てェだの言いやがったら、問答無用で『如月は音痴の嘘つき』だって言いふらし回ってやるからな。覚悟しろよ。」
「…ふん。何を言っているんだ。この僕が嘘などつくものか。それより、そこまで言うなら、君の方こそ余程自信があるんだろうな。これで君の方がヘタだったりしたら、それこそ末代までの笑い者にしてやるぞ。」
売り言葉に買い言葉。さすが商売人、つまらない口喧嘩まで売買してしまうらしい。
「へッ! オレの美声を聴いて腰を抜かすなッてことよ!」
「では、同じ台詞をそっくり返してやろう。…そうだな、龍麻。君にどっちが上か決めてもらおうか。そして負けた方が土下座して詫びるんだ。」
「いいぜ! 後で吠え面かくなよ〜ヴァカ旦那。」
「望むところだ。」
日頃の「鍛練」とか「忍者の心構え」はどこへ行ってしまったのか。
 すっかり熱くなって舌戦を繰り広げている如月は、二人の様子を眺めながら、
(やっぱスゴイな〜。よッ、漫才コンビ・きょーいち&ひすい! いや、如月と京一でK&Kかな?)などと考えている龍麻の心など全く気付く由もなかったのである。

 結局、見事にB’zを歌い上げてみせた如月と、振り付き・裏声でTwo Mixを歌う芸をみせた京一とに、「両方上手い」と龍麻が断を下し、あっけなくバトルは終了した。
 しかし、その日までの三日間、近所のカラオケボックスで一万四千円、CDプレイヤー&買ったこともないシングルCD購入に四万三千二百八十五円(税込み)つぎ込んだという、人知れず葬り去られた事実は、忍びの心の中に大きな痼りを残したらしかった。
 (くッ…またつられてしまった…修業が足りないとはいえ、許さんぞ京一君ッ。この五万七千二百八十五円(税込み)分のお礼は必ず…!)

 本当に修業が足りないこの忍者の末裔は、その日から三日ほど、そろばんとマイクに追われる夢を見るというオチまで付いたそうである。

10/08/1999 Release.