妖刀

 さァて、今日はどんな理由を付けて緋勇龍麻「で」遊ぼうか。
緋勇といると色々奇妙な事が起きるのを、何となく京一は察した。
確信はないが、一番謎を秘めているのはあの転校生だから。
 目の前をひらひらと薄桃色の欠片が通り過ぎる。
桜か…。
 開け放した窓の外を見ると、校庭に植えられている桜が目に入る。
(花見、なんてどうだ?)
あの取り澄ました顔で、桜の木の下に毅然と座る緋勇の姿を想像し、何だか笑えてきた。

「よう、御両人。」
 醍醐が振り向く。恐らく昨日の話をしていたに違いない。
「なんだ、ニヤニヤとして。貴様がそんな顔をしているときは、大抵ロクでもないことを考えているからな」
警戒の色も露わに尋ねてきたので、へへへッと笑いながら、京一は花見の提案をした。

 醍醐に酒を止められたのは残念だった。緋勇に飲ませて見たかったのだ。
(ま、醍醐に同意を求められて首を捻っていたところを見ると、飲めねェわけじゃねェな。)
堅物のいない次の機会を待つ事にして、集まってきた女子連中とともに、マリア先生を迎えに行く運びとなった。
 少し気になるのは美里の様子だ。
旧校舎のことなどすっぱりと忘れたような小蒔と違い、時々沈んだ顔をしているのは、例の<<力>>のせいだろう。
(普通は気にするよな。俺ら男と違って普通の大人しいお嬢さんだし。)
 実のところ、あの時から何となく自分も違和感を感じている。
普段から、妙に<<気>>が満ちるのを感じるのだ。軽く「型」を行っても、剣先に<<気>>がスムーズに流れ込むのが分かる。
単に、緋勇につられているのかも知れないのだが───
 ふと気付くと、その緋勇はまたも佐久間に絡まれているところだった。
「やるのか、やらねェのか、どっちなんだ」
いきり立つ佐久間に、いつもの冴え冴えとした顔を向けて首を横に振る。
「てめェ…逃げんのか!」
「バーカッ。てめェとやったところで緋勇が勝つに決まってんだろ。」
妙に楽しくなって、つい余計な口を挟んでしまう。
 へへへ。凄ェ奴。何でこんなに堂々としてられるんだろうな。
あれだけ強ければ自信も当然あるだろうが、それだけではない何かが、京一を惹きつけるのだった。

 裏密(とアン子)から妖刀の話を聞かされたが、京一は別に不思議とも思わなかった。
自分達の<<力>>の方が余程奇妙だったし、そういう事件が起こるのも何故か当然のような気がしてならない。
 だが、美里はひどく気にしている。醍醐も、巨体に似合わず小心者だから考え込んでいるようだ。
「何だよ、そんなコトあるわけねェだろ? 行こーぜ。」
 その場の雰囲気を変えようと声をかければ、
「…そうだよね、大丈夫だよきっと。ね」
いつも通り、小蒔が続く。
こういう所は助かる奴だが。
「で、遅れて来た人は罰ゲーム。」
こんな所がバカだよな。
 けれど、これは面白いんじゃねェか、と考え直した。
緋勇が遅れれば。
歌って踊る緋勇など全く想像がつかない。
(こんな面白れェ見物があるかよ。)
何とか足を引っ張って遅刻させてやろうと思った時、美里が何か言いたげに緋勇を見つめるのに気付いた。
(へへへ。美里の奴、やっぱマジだったか?)
 あの<<力>>のことを相談したいのかも知れない。
この転校生はどこか人を安心させるような、頼りたくなるようなものを秘めているのだ。
あの闘う姿を見た者なら、誰でもそう感じるだろうと思われた。
 しかし、いつもならそれとなく緋勇に美里の事を仄めかすところだが、京一はちょっと迷った挙げ句、黙っていることにした。
美里が一緒だと、遅刻は絶対にあり得ないではないか───

 校門の前で解散して、少し離れて緋勇の後をついていく。
………
後ろから仕掛けても確実にかわされるな。
相変わらず隙がない。つい見惚れてしまう。
 スッキリとした姿勢で歩いていく緋勇に、さてどんな手で…と考え始めた時。
突然その足が止まった。
(気付かれたか?)
 咄嗟に路地に隠れて様子を見る。
緋勇はくるりと向きを変えて、来た道を戻ってきた。
見つかっても別にどうということはないんだったなと気付き、苦笑する。
だが緋勇は、路地にいた京一には全く気付かず、そのまま通り過ぎた。
………?)
路地から顔を出して伺うと、何故かまた校門をくぐって学校に戻るのが見える。
忘れ物でもしたのか。
何となく興味が湧いて、京一も後を追った。

 そして今───
京一は、息もつけずに目の前の光景を見つめていた。
こんな風に、この転校生に目を奪われるのは、果たして何度目だったろうか。
 どういった理由かは分からないが、緋勇は今、あの体育館裏で「演舞」を魅せていた。
恐らく、剣道でいう「型」なのだろう。
 深く息を吐き、腰を落とす。
ふわりと前髪が揺らぎ、軽く閉じた目が顕わになる。
「呼吸」のために薄く開かれた唇から、フ───…と息が吐き出され続けている。
腹の前で合わされていた拳を流れるように脇へと移す。
 ピタリ、と静止した身体から<<気>>が放出されるのを、京一は全身で感じた。
(これは…これ…は!)
 スッと左足が引かれ、ゆっくりと息を吸い込みながら、<<気>>を練り上げる。 両脇にあった腕を、弧を描くようにしてまた腹の前に合わせる。
ひた、と静止すると、先ほどより強い<<気>>が発ち上った。
目に見える程の揺らぎに、周囲の景色が薄れていく。
 師匠が<<気>>を練る様を、何度も何度も見たことがある。自分も鍛錬をした。
だが、こんなものは知らない。
異質、と言っても良かった。
 彫像のような姿が妖しく揺らめく。
うっとりと目が開かれた。揺らぐ風の向こうでも光を失わぬ黒い瞳が、前方を見据える。
無造作に、左手が突き出された。
<<気>>の衝撃に、しっかりと根付いた樫の木が軋む。特に力を込めたわけでもなさそうだったのに。
 京一は我知らず拳を握りしめていた。

 緋勇の方は満足したのか、姿勢を解いて息を吐き出した。
急速に、身体を包んでいた膨大な<<気>>が散っていくのが分かった。
 …もう辺りは静まり返っている。
遠くから野球部やサッカー部のかけ声が聞こえてくる。思わず溜め息をついて、京一も身体の力を抜いた。
 なんて奴だ。常人とは違う。
一瞬恐怖にも似た感情が京一を包んだ。
 だが、今<<気>>を放出したばかりの左の手の平を見つめている姿を見て、また何かが引っかかる。
少し俯いている横顔は、いつもと同様に何の感情も示さない。
しかし、何故かその背中に寂しげな…辛そうな表情を見た気がして、京一はそっとその場を離れた。
 あいつは何かを知っているのか。
何を知っていて、何のために真神に来たのか。
人に言えない何を抱えているのか。
あの<<気>>を…持て余しているのか。
 やたらと胸がざわついてきて、京一は知らず知らずのうちに走り出していた。

 (ちっ。早く来過ぎたぜ。)
色々考えているうちに、どこに寄るという気もなくなって、中央公園に到着してしまった。
当然誰もいない。
まあいいさと入り口の柵に腰をかけ、ぼんやりと辺りを見渡す。
ちらほらと、風に花びらが散る。丁度満開の時期だ。

 裂けた右腕を思い出した。脂汗を滲ませた白い顔も。
そして、先ほどの<<気>>を纏わりつかせた幻影のような姿。
自分の手を見つめて立ちつくす背中───
 何故こんなに不安になるのか。
<<力>>にではない。緋勇自身に。
何とかしてやらなくてはならない…
そんな想いが、何故かどうしても浮かんでくる。
 とにかく、親しくなって奴の隠している事を聞き出す。知っている事を話させる。
そうすれば、「何故」、「何とか」してやらなくてはいけないのか分かるだろう。
 漠然とした不安に無理矢理決着を付けて顔を上げると、当の本人がやってくるのが見えた。

「よう。早いな」
 ああ、と頷く。いつもの緋勇だ。
「それにしても見事な桜だよな」
なんだかその顔を見るのが辛いような、気まずいような気がして、頭上の桜の枝を見上げた。
「ああ。綺麗だ。」
耳に心地よいバリトンが響く。圧力は感じない。
だが、その強い視線が自分に注がれているのに気付いた。
何だろう。何か、言いたい事でもあるのだろうか。
鼓動が早まる。
聞きたい。でも、まだ何を言っていいか分からない。
 いたたまれなくなり、緋勇の方を振り向いた。
だが緋勇は、いつものように目を伏せてしまった。
「何だよ。綺麗だってのは桜のことか? それとも…な〜んてなァ」
冗談で誤魔化さないと落ち着かないような雰囲気が痛い。
困ったように(顔は困っていないが)頭を掻く緋勇を見て、ようやくホッとした。

◆ ◆ ◆

 続々とメンバーが集まって来るにつれ、いつもの調子を取り戻した京一は、気分良く花見を堪能していた。
思った通り、端座して烏龍茶を飲む緋勇の姿に苦笑する。
 マリアが話しかけるのが聞こえた。
「強いと聞いたのだけど。」
きっとバカアン子だな、言いふらしてやがんのは。
醍醐が「謙遜するな」などと言っているが、謙遜というより説明が出来ないのだろう。
武術を嗜んでいるとか、喧嘩が強いというレベルではないのだから。
 結局何も答えず、緋勇はゆっくりと周りを見渡している。京一は、先刻緋勇が言おうとしていた事について思いを馳せた。

 突如、悲鳴が夜空を切り裂いた。
反射的に立ち上がる。
醍醐も「様子を見に行くぞ」と言いながら身を起こした。
「危険だ」と止めるマリアを説き伏せ、結局全員で駆け付けたのだが…。
 待ち受けていたのは、正気を失っていることが一目で分かるサラリーマン風の男と、口から泡を飛ばしながら唸る野良犬どもだった。
 教師としての信念か、前に立ちはだかって止めようとするマリアを振り切り、またも「戦闘」が始まった。

「何だよこの数はッ!」
 どこから集まってきたのか、十数匹の犬どもが牙を剥いている。
サラリーマンの手の中で、妖しく閃く刀。微かに鍔鳴りを感じ取る。
(成る程、妖刀だな。血に悦んでやがる───
 狂犬どもは、先日のコウモリより速く、重く、狡猾だった。
一撃叩き込んでも勢いを弛めることなく飛び込んでくる。
間合いを取ろうにも、徒党を組んで連続的に攻撃してくるので動きが取れない。
すぐ横で、醍醐が同様に動けずにいた。
後方で美里のものらしい悲鳴が聞こえる。
やべェ、と振り向いた時だった。

「醍醐! 前方のヤツだけ倒して防御しろ! 蓬莱寺はこっちに走れ! 間合いを取って<<気>>を放て! 桜井、そいつは俺が倒す! 醍醐の援護をしろ! 横っ腹を狙うんだッ!!」
 敵ですら一瞬動きを止めるような、抗いがたい力を孕んだ声が飛んだ。
人を傅かせる響き。圧力に一瞬息が詰まる。
「…応よッ。」
応えながら向きを変えて走り出す。飛びかかってくる鼻先を蹴りながら、腕に集中する。それだけで、あれだけ苦手だった<<気>>を木刀に込めることが出来た。
振り返りざま腕を真横に振る。ぶぉん、と空気が波打ち、追いかけてきた犬が思い切り吹き飛ばされた。
 殆どがそのまま動かなくなる。残りもヨロヨロと立っているのがやっとなのを見て取り、もう一度<<気>>を叩きつけた。
「京一くん、足を…」
 美里が駆け寄ってきた。
「オレより醍醐を頼むぜ。」
「まず京一くんを治せって。動けるようになったら醍醐くんの援護をお願い。その後で私、行けますから…」
緋勇の指示か。冷徹なまでに的確だな。
犬にまだ囲まれている醍醐の元に美里を行かせても、餌食となるだけなのだ。まず連中を減らさないと醍醐を救えない。
 後ろから鋭く空気を斬る音とともに、矢が醍醐にまとわりついた犬の腹に当たる。
そちらを見ると、弓を更に引く小蒔と、小蒔の周りの犬を吹き飛ばす緋勇が見えた。
「美里、サンキュ。もういいぜッ。」
すぐに醍醐のもとへ駆け寄り、足に食らいついている奴に突きを食らわせる。
「済まん!」と叫んで醍醐がすかさずスピンキックを繰り出し、残った連中を叩きのめした。
「蓬莱寺! その男を吹き飛ばせッ!」
全身を突き動かされるように、反射的に剄を発する。いつの間にか間近に迫っていたサラリーマンが吹き飛ばされて呻く。
「桜井、連続撃ちで動きを止めろ!」
言い終わらないうちに、男の身体に1本、2本と矢が刺さり、唸り声が上がる。
その隙に、懐に飛び込んだ緋勇が渾身の一撃を見舞って、全ては終わった。

 公園を出ると、走り出したい気持ちを抑え、怪しまれないように早足で歩いた。
ちらりと横目で見ると、京一の左側を、緋勇が悠然と歩いている。まるで何事も無かったかのように。
耳にはまだ、あの烈しい「命令」が残っているというのに───
「…しかし驚いたよな。お前」
ほぼ同じ位置にある肩に手を回し、首を絞めるようにして絡みついてやった。
もう殺気は感じない。
 みんなが口々に、先刻の的確な指示について褒め称えた。
勿論それも驚いたさ。でも、旧校舎でのことを考えれば実に納得がいくじゃねェか。
 また俯いて掌を見つめているのを見て、京一は緋勇の首に回した腕に力を込めた。
「いや、俺が言いてェのはな、コイツが怒鳴ったり出来るってえのにビックリしたってことよ。お前喋れたんだなあ。へへへッ」
頭を撫でると、慌てたように腕を振り解こうとする。
緋勇の髪に絡ませていた京一の指を、引き離そうと掴んだ右手が、熱く汗ばんでいるのに気付いた。
 …そうか。お前。
「ほれ、さっきみたいに怒鳴って見ろよ。ん?」
顔を覗き込む。表情にはやはり出ていない。
でも分かったぜ。お前、今照れてるだろう。
 顔に出さなくても。声に出せなくても、身体でちゃんと表現しているじゃねェか。
コイツにも、ちゃんと人間らしい感情はあるんだ。
圧倒されるような命令調の叫び。
でも、その中には気遣いと、全員を救けようとする強い意志を感じなかったか?
 もっと知りたい。お前のこと。もっと多くを理解出来るように。
そうしたら…。
俺はいつでもお前と共に闘おう。
決意してみれば、それは昔からの決まり事のように思える。
(俺達は親友となるべくして成ったのかもな。…なーんてな)
 どこからか飛来した桜の花びらが舞う。
この先何があろうとも───共に。
 充実感が体中を満たしていた。

05/23/1999 Release.