鬼道

 全く、何が楽しくて男三人でクソ暑い教室に詰め込まれてベンキョーなんかしなきゃなんねーんだよ。
ブツブツ愚痴を言うと、醍醐がいちいち反応してたしなめる。それも京一は気に入らない。
龍麻の方を見ると、淡々とプリントに答を書き込んでいた。無視されている気分になって、益々溜息が出る。
…不安だったのだ。
 夏期休暇が始まり、特に予定があるわけでもないので、龍麻とは殆ど逢う機会がなかった。
夏中、帰省はしないと聞いている。既に何度かマンションには押し掛けていたが、毎日というわけにもいかない。京一にしても、バイトをいくつか入れてあったので、そう時間が取れるものでもなかった。
学校で毎日顔を突き合わせている間は、何かあればすぐに分かったが、長い間独りで過ごしているだろう龍麻を想うと、ひどく不安になってくる。誰かに頼ることをしないこの男が、何らかの理由で───例えば、紗夜の事件の時のように───窮地に陥っても、気付いてやれないかも知れない。電話では龍麻の心理状態など殆ど掴めない。
あと残り半月、それが続くと思うとやり切れなかった。
 そんな思いを押し隠すように、暑いだるいサボりたい、などと文句を言っていると、少しは反省しろと怒鳴りつつ、醍醐が龍麻に水を向けた。
「龍麻。お前もそう思うだろ?」
初めて龍麻が顔を上げた。
醍醐を一瞬きつく睨んだので、邪魔をされて怒ったのかと思ったが、その後微かに首を横に振ったので、醍醐はそれを京一のための怒りと解釈したらしい。
「ふう…。結局お前は京一を庇うんだな。」
───否定はなかった。では少なくも、無視していたわけではないらしい。
思わずホッとする。醍醐は呆れていたが、京一は嬉しかった。
 醍醐と言い合いを続けつつ、ふと思いついて、龍麻を海へと誘ってみた。
そうだ、別に今日じゃなくても、今度は海に連れていってみよう。一緒にいる口実が出来る、とそこまで考えて、何か妙な考えになっていることに気付き、思わず閉口した。
「オレと…お前で?」
訝しげな響きで、龍麻がタイミング良く尋ねる。心を見透かされたような気になって、慌てて顔を背けてしまった。
そーじゃねェッ。そーゆー意味じゃねえだろ、俺ッ。
「お前たち…、暑さでどうかなってるな。」
そうだ、多分暑さのせいだ。暑さで正常な思考が出来なくなっているのだろう。チクショウ、こんな暑い最中、補習なんかやらせるのが悪いんだ。
 結局そこへと、無理矢理に結論付けることにした。

 マリアが来て解放された後、職員室の犬神の所へ行くのにも、龍麻は一緒に行くと頷いてくれた。いい加減なことを言いながら肩を抱いてみると、それでもコクコクと頷いている。醍醐が呆れて「友人は選んだ方が良いぞ」などと言っても、特に気にした風でもないので、「選んだからこそお前じゃなく俺なんだよ」と思いながらニヤッと醍醐に笑って見せた。
ムッとしたのか、醍醐は先に校門へと足早に去っていく。
「それじゃ、職員室へ行こーぜ、ひーちゃんッ!!」
自分の用であることを忘れたかのように、京一は嬉々として職員室へと入っていった。

 犬神はいつも通りサラリと嫌味を言ってくる。
京一とて理由無く犬神に対して突っかかっているわけではなかった。
叱りつけたり、怒鳴ったりされた方がマシだと思えるほど、犬神は痛いところを突くのが上手い。その物言いが、何もかも見透かしているような、人を超越しているような態度が、鼻につくのである。
それが龍麻にも向けられた時はカチンと来たが、龍麻は特に気にした様子でもなく、素直に頷いていた。
 外に出て、つきあわせたことを謝ると、龍麻は「構わん…」と呟いた。首を振って返事をするだけでなく、何か一言言い添える場合、または滅多にないが眼を見つめてくる場合、それは龍麻にとって強い感情の表現なのだということを京一は理解していた。
今も、その瞳が自分にはっきりと向けられている。最近はこういったことが多くなった。
 以前は殆ど向けられなかった視線。そして、それが他の者より遙かに多く、自分に向けられていることの自覚。
(俺は、お前に認められたって考えていいんだよな───?)
「本当に、ありがとな。」
そう言うと、龍麻の強い視線がふっと和らいだ気がした。微笑った、のかも知れない。

 校門に着くと、複雑そうな顔で醍醐が待っていた。
「よー、お待たせ。」
京一が声をかけると、遅かったな…と苦虫を噛み潰したような顔で唸る。炎天下に待たせたことで怒っているのだろう。いつものラーメン屋に行くことを提案すると、ケロリと同意してきたので、特に気にしないことにした。
 そこに意外な人物が現れた。天野絵莉である。
べたつくような暑さの中、キチッとスーツを着こんで爽やかに笑う姿はとても好ましい。
「実は、あなた方に頼みたいことがあって…」
 事件絡みであることは分かっていた。プロのルポライターともあろう者が、こんな所に遊びに来るわけがない。また何か起こっているのか…鬼道衆が動いているのか。知らず、袱紗を握る手に力が入る。
立ち話で済む内容でもないので、ラーメン屋で詳しい説明を聞くことになった。

 絵莉の話によると、江戸川区で連続殺人事件が起きているらしい。それも、被害者は一様に首をすっぱりと切り取られているという。その切り口から常人技ではないと判断した絵莉は、これも鬼道衆の仕業ではないかと推測したのだ。
 早速江戸川区へと向かう前に、一旦学校へ行って美里と小蒔を連れてくることになった。
しかしその手間は省かれた───二人がその場にやって来たのだ。
慌てて駆け寄ってくる姿に、醍醐が緊張する。
鬼道衆なのか!?
だがこの問いに対し、二人は何か歯切れ悪く、返事に詰まっている。何事なのかと思っていると、元凶が駆けつけた。
「待ってくださ〜いッ!! Myスウィートハニーッ!!」
つまり、しつこい外人のナンパだったのだ。全く人騒がせな…と思いつつ、肩の力を抜く。醍醐もあからさまにホッとしていた。

 美里に声をかけた辺りは、見る目はあると言っていいだろう。しかし、困ったように俯き、時折龍麻の顔を見上げては、また慌てて目を逸らす美里が痛々しかった。
龍麻の方は、彼女の様子にはまるで気付かぬ風なのだから。
 自分や醍醐の名前はロクに覚えず、女性陣ばかりしっかりと名を覚えていくメキシコ人のハーフ、アランに半ば呆れはしたが、「通りすがりの妙な外人」など、今後関わり合いになるとも思えない。さっさと江戸川区に…と言いかけたところで、最後に龍麻に名を問うのが聞こえた。
「オーウ、緋勇龍麻いうデースか。ユーとは、初めて会った気がしませーんッ。」
…なんで龍麻の名前だけバッチリ覚えやがるんだ。
どいつもこいつも、どうして龍麻にだけ異なる反応をするのか。そうさせてしまう奇妙な魅力を持った人物であることは、京一も認めるところなのだが、アランのように妙に親しげに振る舞う男を見ると、何故か焦りを感じてしまう。
 しかしその後、更に京一を憤慨させる事件が起きた。
「葵をくれ」というアランに、龍麻はあっさりと頷いたのだ。
感激したアランは、龍麻の手をガッチリと握った。今にも抱きつかんばかりの勢いだ。
強ばった美里の背中が、彼女の気持ちを哀しいほど伝えてくる。
───何を考えてるんだ!?
アランへの怒りなのか、龍麻への苛立ちなのか、ついカッとなって怒鳴りつけてしまった。それでも収まらず、美里を庇い、アランに木刀を突きつける。
小蒔も恐らく美里の気持ちを知っているのだろう。龍麻に対して声を荒げた後、悲しげに俯いている。
そんな京一達を見回し、龍麻は目を逸らした。
理解した…のだろうか。美里の気持ちを? だとしたら、どうして目を逸らすのか…
 京一はハッとした。
気付いていたのだろうか。とっくに気付いていて、知らぬ振りをしていたのか。
…何故?
 比良坂紗夜のことを引きずっているのだろうか。
しかし、他人を拒絶するようなところが薄れてきたとはいえ、未だに感情を表に出そうとしないのは転校当初から変わっていない。何か理由がある筈だ。まだ隠されている何か…それが美里を遠ざけている原因なのか。
 沈みかける思考を止めるように、またはこれ以上のいざこざを防ぐために、京一は絵莉に声をかけた。
「もう行こうぜ、急ぐんだろ、エリちゃん。」
ところが、江戸川区がアランの住処であると分かり、予想外に彼も同行することになってしまった。同行の許可を求められた龍麻が認めたからだ。
今までの経験からすると、アランも「仲間」なのだろうか。そっと龍麻の様子を窺っても、その横顔には何も表れてはいなかった。

 アランの事情を聞くうち、その軽すぎた第一印象とは異なる面を持っていることが、徐々に京一も理解ってきた。
両親を失い、遠い国の親戚を頼り、それでも、前向きに生きている姿は、好感を持てないこともない。
だからといって気を赦すつもりはないが、少なくとも、龍麻が認めた部分はこの辺りなのだろうと思われた。
 アランは言う。
伯父さんも伯母さんも大好きだから、彼らを傷つける奴は許さない、と。
自分達も誰かを護りたい一心で、今までの様々な事件に関わり、解決してきた。その想いに共感し、醍醐も小蒔も、美里も、アランの言葉に、深く頷く。
 大切な人を傷つけられたら怒るだろう、と訊かれた龍麻も、アランを見つめ返し、「当然だ」と言い切った。
アランは知らない。こんなにはっきりと答えたときの龍麻の心には、何十倍もの決意が秘められていることを───

 何を感じ取ったのか、突如駆け出したアランを追い、江戸川大橋へとやってきた京一達が見たものは、壁に激突して黒煙を上げているひしゃげた車と、微かに見える首のない遺体だった。
走り去っていく黒い影と、倒れ伏すアランに気付き、龍麻と美里が迷うことなくアランに駆け寄った。それを見た京一は、醍醐と顔を見合わせ頷くと、一緒に黒い影を追うことにした。後から小蒔もついて来ている。
「お前もアランのところへ行けよ!」
「やだよッ。…なるべく二人で、…その…あ…」
アランや絵莉もいたのだ、ということに気付いたらしく、後半は口ごもった小蒔だったが、その気持ちは良く分かったので、京一は何も言わなかった。

 走り去る影は、間違いなく鬼道衆のものだった。捕らえられるほどの距離には追いつかなかったが、見失う速さでもなく、その影は土手沿いに積み上げられた岩の隙間に消えた。
覗き込んでみると、大きな空間をその暗闇の奧に感じる。ここにもまた、知られざる地下洞窟が広がっているのだ。
 無事だったらしいアランを連れて、龍麻達が合流した。
念のために仲間達に連絡を入れてから、洞窟へと侵入する。
中は思った以上に広かったが、鬼道衆には程なく遭遇した。待ち伏せされていたのだ。
 アランが「風の<<力>>が宿る」と称した霊銃で先制攻撃を放ち、京一達との出逢いが偶然ではなかったことを物語る。疑念はあったが、まずは目の前の敵だ。

「蓬莱寺、醍醐、切り込め!」
 いつもと変わらぬ龍麻の指示に、反射的に駆け出した京一だったが、次の瞬間思わず立ち止まってしまった。
「…翡翠も前に!」
「分かった。龍麻」
軽く頷いて素早く鬼面どもの中に駆け込む如月。ちらりとこちらを見やった眼が笑っていたのは…京一の気のせいだろうか。
「…お前…なんで骨董屋のこと名前で呼んでんだ?」
思わず引き返してしまった。それどころじゃない、というように龍麻が眼光鋭く睨むが、京一にとっては重要なことだった。
 少しずつ、垣根をそっと取り払うようにして龍麻に近づいてきた自分達。親しく名を呼んで欲しいと思うことも度々あったが、無理強いをするようなことでもないと抑えてきたのだ。
ところが、ほんの数週間前に仲間になったばかりの如月が、あっさりと名で呼び合う仲になっている。それはどういうことなのか。
 それでなくても、意味ありげに、言問いたげに龍麻を見つめる如月の視線がずっと気になっていた。この二人の間には、自分の知らない因縁めいたものがあるのではないか。それは、龍麻の過去につながりがあるのか。そう聞きたかったのだが、どうにも虫の好かない如月に問い正す気になれずにいたのである。
 「お前、如月と…」と問いかけたとき、後ろから脳天気な声が飛んだ。
「おう、オレ様のコトも雷人って呼んで構わないぜッ!」
…あの馬鹿がッ。
しかしその言葉に「ああ」と頷いた龍麻を見て、先ほどまでの不安や疑惑が、全てかき消されてしまった。
(何であんな連中が「翡翠」「雷人」で俺が「蓬莱寺」なんだッ!!)
龍麻が、僅かに眉を寄せ、「蓬莱寺、」と言いかける。
これ以上ここにいては、本気で龍麻を怒らせるだろう。京一は、怒りを込めて「きょーいち、だッ。馬鹿野郎ッ!」とだけ言い残し、すぐさま敵陣へと走った。
(ッあーッもう!! どーしてこの俺が、こんな女々しい嫉妬してなきゃなんねェんだよッ)
(そーゆーコトじゃねェんだッ。名前で呼んで欲しいとか、そうじゃなくて、ただ俺は)
───ただ、龍麻が心を開ける友人として、自分は認められつつあると思い込んでいた。そしてそれは、ただの自惚れに過ぎなかった。それが分かったから悔しいのだ。
「親友なら、彼の邪魔にならないようにしたまえ。」
図らずも隣り合って闘っていた、皮肉屋の呟きが耳に届く。カッとなって振り向くと、そこには予想していた嫌味な笑みも嘲りもなく、真剣な眼差しがあった。
………言われなくとも、…分かってるッ」
ならいいさ、と呟きつつ印字を組む姿に、敗北を認めざるを得ない。如月は如月なりに、龍麻を思いやっている。それだけのことだった。
 京一も、目の前の敵に集中することにした。アランのことも、如月のことも、闘いが済んでから考えるべきことなのだから。

 何とか鬼面の者どもを斃したが、この奧には、青山霊園での闘いと同様に、「鬼道門」と全ての糸を握る「鬼道五人衆」がいる筈だった。
更に奧へと進みながら、絵莉の話を聞く。
 水岐が復活させようとしていた「海の底に眠る邪神」と中国に伝わる「古代の邪悪な海の悪魔」との関連性や、クトゥルフ神話との関わりなどは、京一にとってはどうでも良いことだった。
重要なのは、今、東京に化け物どもを溢れさせようとしている鬼道衆を、止められるのが自分達しかいない、という事実だけだ。
 アランが「嫌な風の匂いがする」と言い出した。
また、<風>だ。この男は何を知っているというのか。
 だが、それを確かめる前に、目的の「門」らしき建造物が見えてきた。

「ここが───
 巨大な支柱は鳥居のようにも見える。不気味な意匠を施されたその門は、青山霊園の地下とは異なり、異様な存在感を持ってそこに在った。
近づきかけて、その門の足元に描かれた巨大な魔法陣に気付く。そして、その文様を形作っている奇妙な置物…
「…きゃああああッ!!」
「こッ…こいつは…」
流石の京一も、声が震えるのを抑え切れない。
───それは、夥しい数の人間の生首だったのだ。
改めて辺りに立ちこめる生臭さが、大量の血の匂いであることに気付き、吐気が込み上げてきた。
 突如、鬼気が膨れ上がると、眼前に鬼面が現れた。───鬼道五人衆だ。名乗り上げられる前に、直感がそう告げる。
 膨大な数の生首と、血の臭気に、怒りが込み上げる。
「てめェ───。罪もねェ人間を巻き込みやがって…。」
風角と名乗った鬼面は、そんな京一を笑い飛ばした。
人間の儚い命を弄び、その生への焦がれを嘲る態度に、京一の憤りは耐え難いまでに膨れ上がった。
 しかし、風角の企みは既に成功していた。「門」は開かれたのだ。
酷い瘴気が立ちこめ、ねっとりとした風が「門」から流れ出る。
そこに現れた「もの」は、例えるものが思いつかないほど異形の怪物だった。

 どろどろとした、固定しない身体が鎌首を持ち上げるように立ち上がる。
全身が蠢く度に大小の目や口が開いては閉じる。触覚のようなものがざわざわと辺りを探る。
地面に擦れた部分に水泡が立ってはグズグズと音を立ててはじけ、揺れ動くと腐った肉汁のようなものが流れ落ちて、見る者を嫌悪感で震え上がらせた。
 アランが、酔ったように呟く。
「…やっと、見つけタ…」
それが、アランの村を破壊し、父母や友人達の命を奪った敵だということを、この時初めて京一は知ったのだった。

「…京一、アランを頼む。オレは、奴を斃す。」
その声に振り返ると、烈しい闘気を放ちながら、龍麻が風角を見据えていた。
「…応ッ。」
大勢の犠牲者たち───アランの村。江戸川区の贄。
 一瞬、心を落ち着かせるように目を閉じて、京一はアランの前に立った。
「…キョーチッ! どいてくださーい! ボクは、ヤツを斃さなくてはイケないッ!!」
「馬鹿野郎ッ、落ち着け!!」
叫びながら、地面に叩きつけるようにして剣圧を送り込むと、地を這いながら走る<<気>>が、遠方の鬼面の者を切り裂き、後方へと吹き飛ばした。
「てめェの『カタキ』に集中しろッ!」
………ッ!! …キョーチ…」
 いつの間にか、左に回り込んだ裏密が、嬉々として呪文を唱えるのが見える。あれも恐らく龍麻の指示だろう。
裏密の足元に光彩の魔法陣が現れた。
一瞬、ふわりと裏密の身体が浮き上がり、吹き上げられた無数の光の粉が、異形の巨体に、豪雨となって降り注ぐ。
奇怪な悲鳴を上げ、「それ」が身悶えた。
───凄ぇ…)
恐ろしいまでの威力と、神々しいまでに輝く光をまとう姿に、思わず裏密を見直した京一だったが、「う〜ふ〜ふ〜」と不気味な笑い声を立てながら恍惚とした笑顔を浮かべるのを見て、やはり目を逸らしてしまうのだった。

「アラン! とどめだッ!!」
 風角に激しく凍気を叩きつけながら、龍麻が叫ぶ。
吹き飛ばされながらも、間髪を入れず風角の腕が唸り、空が裂ける。
激しい「鎌鼬」から片腕で目を庇いつつ、なおも間合いを詰めながら、「裏密、下がれッ。紫暮、頼む!」と続けた。
のたうち回っていた化物が、鎌首をもたげ、裏密に向けて大きな口を開いたのだ。
後ろにいた紫暮が裏密の身体を抱えるように庇い、その前にドッペルゲンガーが立ちはだかる。
「アランッ!?」
振り向くと、霊銃を構えたまま、アランは目を閉じていた。
「…パパ、ママ。ミンナ…ッ!」
怒りの咆吼か、耐え難い声を発しながら異形の怪物の身体が膨れ上がったとき───
銃声が洞窟に響き渡り、アランの復讐は終わりを告げた。

 崩れ去る洞窟からかろうじて脱出すると、アランが改めて手助けをしたいと告げた。
差し出された龍麻の手が、アランの手を労るように包み込む。
闘いが終わり、魔法陣の贄首を見つめていたその背中が、強ばっていたのを思い出した。
大切な者を、二度と失いたくない───アランの言葉を思い出す。龍麻も同じ想いを抱いているのだろうか。

 懲りずに美里をまた口説きだしたアランを叱りながら、これもコイツなりのムードメイクなのかも知れないという気がしてきて、苦笑してしまった。
龍麻を見ると、微かに口元を緩ませているのが見えた。声を上げそうになり、慌てて飲み込む。ここで余計なことを言っては、プールの二の舞だ。
そっと、気付かれないように、もう一度その顔を見やる。半月に満たぬ月すら沈もうとしている暗闇の中で、誰も気付いていない、密やかな笑み。
 今はまだ微かな星々の照り返しの中で、ひっそりと咲くだけでも…
いつかきっと、眩しい太陽の下、誰の目にも艶やかに映る時が来る。
 それを信じつつ、京一も帰途につくのだった───

06/27/1999 Release.