壱

変生・後編

 醍醐と小蒔が休みだと分かって、京一は嫌な予感に囚われた。
昨日の今日で、醍醐が休む筈はない。
気になったので、HRが終わってすぐマリアを捕まえた。
「醍醐クンからは、まだ何も連絡をもらっていないワ。桜井サンは、お母様から風邪だって伺っているけれど…どうかしたの?」
「い、いや、ちょっと用があったんで。ワリィな、センセー。」
 余計な詮索をされる前に慌てて立ち去る。
…風邪? 昨日あれだけ元気だった小蒔が?
それに醍醐。今日、不動尊巡りをしようと言ったのは奴だ。あの堅物が、約束を簡単に反故にする訳がない。
それに、もう一つ気になることがある。佐久間の取り巻き連中が、落ち着かなげに時々こちらを見ては、ヒソヒソと話をしていた。
…醍醐と佐久間の間に、何かあった。小蒔も巻き込まれている、というのは考えすぎだろうか。
心配そうな美里と龍麻には、何でもないような振りをしながら、不安を拭い去れない京一であった。

 昼休みになって、佐久間の取り巻きの一人を捕まえて問いただした。
「へッ、知らねェよ! 醍醐と桜井だァ? 二人でどっかにシケコんでんじゃねェの?」
木刀を突きつけ、佐久間のことを聞くと、微かに顔色が変わる。
「…し、知らねェ。どこに行ったのか、ホントに知らねェんだ。」
奇妙に不安げな様子を見ると、これは本当らしい。少し考え込んだ隙に逃げられてしまったが、大体のことは掴めたので放っておくことにした。
 無意識に嘆息しつつ、重い足を引きずって屋上へと向かう。

 いつか、醍醐と二人で語ったことを思い出す。
<<力>>のことを、奴は悩んでいた。<<力>>持つ者と持たざる者の違い、選ばれた理由、護るべき存在…何でも重く考えてしまう醍醐らしかった。
「愛する者を失い、人としての日常を失うくらいなら、こんな<<力>>など欲しい奴にくれてやる」
それは切実なる醍醐の本心であったろう。決して奢りや自信から生まれた言葉ではない。
だが、それを言われる相手は、醍醐の気持ちになど気付きはしないのだ。
佐久間も凶津も、醍醐の誠実さを受け止めるには器が小さ過ぎた。
それで見捨ててしまえばいいものを、それが出来ないのが醍醐の長所であり、更に彼らの神経を逆撫でする原因ともなっている。
 かたくなに自分を拒む佐久間をも、包み込もうとしている醍醐は、寛大ではあったが危うく見えた。
 (あの時から───
いつも座る位置に腰を下ろし、目をつぶる。
あの頃から、漠然とした不安は感じていた。
いつか佐久間は何かを仕掛けてくるだろう。醍醐はその時、耐えられるだろうか。耐えられなかった時…自分達は力になれるのだろうか。
 そんな危惧を持っていたにも関わらず、「何か」は起きてしまった。自分は何も出来なかったらしい。
「親友」が、聞いて呆れるぜ。
自責の念と醍醐への不安に苛まれ、どこまでも落ち込んでいきそうだった。

 その時、入り口に知った気配を感じ、思わず身を固くした。
…龍麻だった。
何かを感じ取ったのか、少し近寄って、そのまま動かない。
数瞬迷ってから、京一は「放っておいてくれ」と頼んだ。
気持ちを察してくれたのか、龍麻は「済まん」と短く応えて去って行く。
ワリィな、ひーちゃん。今はまだ、上手く話せねェ。
 とにかく何が出来るか考えなくては。ともすれば同じ後悔を繰り返そうとする自分の心を叱咤して、まずは何が起きたのかを探ることだ、と決意した。
もう一度、佐久間の取り巻きをとっつかまえて問いただしてみよう。そして小蒔。十中八九、無関係ではない筈だ。
例の宝珠はさっさと封じよう。今出来ることをやって行かなくては、後ろばかり振り向いてしまう。
 強引に不安を振り捨てて、京一は立ち上がる。
あの日と同じ、強すぎる風が屋上を駆け抜けていった。
 ───嫌な風だぜ…。

 日曜日。待ち合わせた駅前に行くと、美里と龍麻は先に来ていた。小蒔の姿はない。
自宅に居ることは分かっているので、そっちは登校してくるのを待った方が良さそうだ、と京一は判断した。
佐久間の取り巻きからは、結局大した情報は得られなかったが、佐久間が小蒔と醍醐に接触しようとしていたのは確からしい。
そこで何があったのか、最悪の場合を考えると、家に押し掛けたり電話をかけたりして、小蒔に訊く気にはなれなかった。
問題を先延ばしにして、不安ばかりが増えていく。
 それでも、何か楽しそうに龍麻へ話しかけている美里を見て、少し心が和らいだ。
「風邪だ」というのを心から信じているのか、それとも龍麻への気遣いなのか、とにかく彼女の気丈さには度々救われる思いがする。
「…よッ。ちょっと早く来すぎたかァ?」
「きょ、京一くんったら! …もう、また遅刻なのね。緋勇くんなんか15分前から来ていたのよ?」
京一のからかいに頬を染めながら、美里がたしなめる。
「ワリィ、ワリィ。さ、とっととつまんねェ用事は済まそーぜッ。」
「…ふふっ、調子いいんだから。…行きましょう、緋勇くん。」

 いつも全員の後ろを護るように歩く龍麻のせいで、自然美里と並び歩く。
そういえば、この相思相愛と思われる二人の後押しもしてやらなきゃなんねェんだったな。
自分の感情を常に押し殺している龍麻と、誰に対しても優しいが、積極的にアプローチするタイプではない美里とをくっつけるのは、相当手間をかけねばならないだろう。
醍醐と小蒔より難しいかも知れない、などと思っている間に、目白不動尊に着いた。
 龍山の言っていた「祠」らしきものを探しだして「奉納」を済ませる。
あっさりと一つ片づいたので、少し気が楽になった京一は、美里と龍麻の背中を押して並ばせた。
「さっさと次の不動尊へ行こーぜッ。」
あッ、と声を上げ、美里が俯く。耳が赤くなっているのを見て思わず笑みがこぼれる。
しかし、龍麻はチラリと美里に一瞥を投げ、足を早めて彼女の前方へと行ってしまった。
「…緋勇くん…」
悲しげな美里の声に、少し早まったかと舌打ちをする。
龍麻の態度を非難するか、気付かぬ振りで済ますか迷い、結局何事もなかったように美里の隣を歩くことにした。
「…ワリィな。よけーなことした。」
小声で、龍麻に聞こえないように囁く。
「…ううん。…私じゃ…駄目ね。きっと」
「んなこたねーって! …美里のこと、気にしてんだぜ?」
…………。」
そんなことない、というように美里が首を振る。
京一は、前を行く背中を睨んだ。
まずは龍麻の頑なな態度をほぐさなくてはなるまい。意志の強さを知っているだけに、かなり困難であることも解っていたが。

 二つ目の、目青不動尊に着いたときは、既に陽も陰り始めていた。秋分を間近に控え、落日も早くなってきている。
入り口で美里と話している間に、先に敷地内へ入ろうとした龍麻が、誰かに声をかけられているのに気付いた。
 奇妙な男だった。
ボサボサの髪に白いバンダナを巻き、キツい印象を与える眼と縦に走った傷が、堅気ではない雰囲気を醸し出す。
しかし、龍麻に絡んでいる姿は妙におどけていて、大袈裟な動作で龍麻の顔を覗き込んでいる。
「…なんだてめェ、俺たちになんか用かよッ?」
脅すように近づくと、怪しい男はやはり大袈裟に飛び退いて、細い眼を益々細めてニッと笑った。
「おっと、そないな恐い顔せんといて。」
この兄さんがええ男やったさかい。
などと言いながら、また龍麻の顔を覗き込む。
「ちッ、気色わりィヤツだぜ。」
と吐き捨てながら、木刀の入った袱紗を握りしめた。
妙な形で龍麻に近づく奴には、用心せねばならない。この男も、もしかしたら水岐と同じく<敵>であるのかも知れなかった。
「まァまァ、そういわんと。」
見ようによっては人懐こい笑顔で、バンダナ男はひらひらと両手を振る。
馴れ馴れしく声を掛けてくるのに用心しながら答えると、ふとニヤニヤ笑いを消して言った。
「でも、気ィつけェや。この辺りは、鬼が出る言われとるんや…。せいぜい喰われんようにな…。」
鬼…だと?
 問いつめようとしたが、するりと走り去っていく。
「ほな、またな。」
追いかける必要はないだろうと思いながら、また妙な奴が現れたことに舌打ちする。
新たな事件の始まりなのだろうか? …醍醐と小蒔がいないのに。
 ふと、龍麻がじっと男の去った方向を見つめているのに気付く。同じ思いなのか、他に心当たりでもあるのか、京一には感じ取ることが出来なかった。

 中に入ると、目白不動尊にあったものと同じ形の祠をすぐに発見した。
先ほどと同様に宝珠を供えると、今度は一振りの刀が残されている。
「へェ…?」
鞘ごと軽く振ってみると、しっくりと馴染むようだ。
流石に街中をこのまま持って歩くわけに行かないので、袱紗の中へとしまう。
とにかく封印は済んだのだ。あとのことは、小蒔の快復を待ってからだろう…。
 新宿へ戻り、解散する前に、ふと思いついて龍麻に声をかけた。
「明日、醍醐の家に行ってみようぜ。」
いないのは分かっていたが、何か佐久間達に関する証拠が掴めるかも知れない。
醍醐の家は父子家庭である。以前問題が多かったとはいえ、四日も留守にすれば流石に父親が心配し、警察に届けてしまうかも知れない。後々面倒になりそうだ。
いつもと同様、龍麻は淡々と頷いた。仲間を大切にしている龍麻が、醍醐を心配していない筈がないと思いつつ「わりィな」と呟いたが、その応は、京一をちらっと一瞥しただけだった。

◆ ◆ ◆

 翌日、ようやく登校してきた小蒔を見て、何かあったのだということを確信した。
治りかけてはいたが、頬や腕に殴られた痕が微かに残っている。
何も気付かぬ振りで明るく声をかけても、合わせることも出来ない小蒔など初めてだった。
意を決して、何があったかを尋ねると、恐らく今まで我慢していたのだろう、泣き出しそうな顔で「醍醐クンが…」と言ったきり、唇を噛む。京一は、場所を変えることにした。
 屋上で、四日前に何があったのかをようやく聞き出すことが出来た。
つかえつかえ、小蒔が話す。
「…ボク、佐久間クンの仲間に捕まっちゃったんだ。佐久間クンが、醍醐クンを誘き出す人質だって言って…抵抗したんだけど、佐久間クン、変な<<力>>を使えるようになってて。
それで…ボクなんかのために、醍醐クン駆けつけてくれて…。
鬼道衆に<<力>>をもらったっていうの聞いて、人質取ったり卑怯なコトされて、…多分、それで…。」
震える息を吐き出すように、小蒔は告げた。
「…醍醐クン、突然、獣みたいに変身したんだ…ッ。」
一瞬、意味が分からず聞き返す。
「…変身?」
「だから! …牙が生えて、ツメとかが伸びて…眼が…ッ」
思い出したのだろう、身体を震わせて俯く。誰も声を出すことが出来ない。
「そ、そしたら、佐久間クンも化け物みたいになっちゃったんだ。二人とも、お互いのこと分からないみたいに闘って…それで…」
 水岐が突然化け物に変化したことを思い出した。まさか醍醐も…?
………佐久間クンが消えちゃった後…醍醐クンは元に戻った。でも…俺が佐久間を殺した…って…化け物みたいになって、この手で佐久間を殺したって言って…そのまま、どっかに行っちゃったんだよ。ボク…追いかけたんだけど…。」
………あの野郎………。」
目の前が赤く染まる程、京一は強く眼をつぶった。
あのバカが。佐久間を殺した自責の念と、化け物に変化した自分への不信から、醍醐は自ら失踪したのだ。
最悪の事態まで考えていた京一にとって、まだ生きている可能性が強いことが唯一の救いだった。だが何故そこで、全てから逃げ出す道を選ぶのか、と怒りが膨れ上がる。
(どうして…どうしてそこで、俺達を…俺を頼って来ない? そんなに俺達は信用されていないのか? お前がどう変わろうと、俺達の態度が変わるか? 喩えお前が自分を信じなくたって、俺達がお前を信じない筈があるか? …そんなことも分かってねェのかよ、醍醐───
 怒りを抑えられない。美里が言うことも分かる、確かに醍醐は他人の迷惑を先に考えてしまうような男だ。…だが、それでも。もっと頼って欲しい、困ったときには何でも言って欲しいという友の気持ちも分からないのが許せない。
「ひーちゃんッ。お前だって、腹立たねェか?」
思わず尋ねて、穏やかに首を振った龍麻に、最後の理性の糸が音を立てて切れた。
───そうだよなッ。お前も同じだもんなッ!
自らの背負った過去も、宿命も、枷も全て内側に閉じこめ、誰にも本心を見せようとしない。
 醍醐にも龍麻にも信用されていないのだ…その想いが京一を絶望の底に突き落とした。
それならみんな、好き勝手にすればいい。勝手に悩んで、勝手に自滅すればいい。
「…俺は、お前みたいに物分かりがよくねェからな。」
龍麻に本気で怒りをぶつけたのは、これが初めてであったかもしれなかった。

「…京一くん。今はそんな事を言っている場合じゃないでしょ?」
 凛とした声にハッとする。美里は、僅かに怒りを滲ませて、京一を見据えていた。
そしてチラリと龍麻を見やる。
つられて見ると、龍麻はじっと京一を見つめていた。
能面のような顔のまま、体中が強ばっているのに気付く。京一の物言いに怒りを覚えたのだろう。
後悔が胸を掠めた。…今のは、ただの八つ当たりじゃねェか。今回コイツは何の関係もないのに。…なんてバカなんだ、俺は。
京一の様子で、自分の言いたいことが伝わったと理解したのだろう。美里は少し微笑って
「出来るだけ早く、みんなで、醍醐くんを探さなくちゃ。ねッ」
と続けた。
美里の言う通りだ。ここで憤っていても、何も解決しないのだ。
今度こそ醍醐の首根っこを捕まえて、「一人で背負い込むのはやめろ!」と怒鳴ってやらなくてはならない。
 アン子と裏密に協力を頼むことにして、全員を先に行かせた。龍麻が残ろうかと少し躊躇したようだったが、京一は少し頭を冷やしたかった。
 …醍醐…。
てめェが周りに気を遣って、一人で悩みを抱え込むほど、俺達は心配するしか手がなくなるんだぜ。放っておける程度の仲じゃねェコトくらい、分かんねえのか?
怒りから、目頭が熱くなるのを堪え、深呼吸を繰り返した。頭を冷やさないと、また八つ当たりしてしまいそうだった。

 階下の新聞部部室に足を踏み入れると、アン子は早速話を聞いたらしい。
思わず「わりィな、呼び出して」と詫びると、露骨に嫌そうな顔をした。
「気持ち悪いわね…。あんたがそんな事言うなんて。」
いつものように冗談で返そうとしたが、何も浮かばない。
そんな京一の様子に、アン子も真顔になった。この状況を読む切り替えの早さは、流石アン子と言うより他にない。
 いくつか獣人への変身のケースを聞いたが、どれも醍醐に当てはまるものとは思えなかった。
打つ手は無いのかと肩を落とした時、突然不気味な念仏(?)が背中から聞こえ、思わず呻いてしまう。…どうも、コレだけは慣れそうもない。
振り向くと、真後ろでニヤ〜ッと笑いながら、占いでみんなが見えたなどと、相変わらず不気味なことを呟く裏密が立っていた。
 背に腹は変えられないと、その「占い」とやらを頼む。
しかし、結果はいつも通り意味不明な単語の羅列と不吉なイメージだけで、益々苛ついてくる。
とにかく醍醐が危険だと言われ、小蒔が息を呑んだ。
確かに、街を彷徨いていたにせよ、どこかに隠れているにせよ、醍醐が相当な精神的ダメージを負ったまま四日も過ぎているというのが気になる。考えれば考えるほど、深みにはまっていく性格なのも災いしているだろう。
急に不安になったのか、小蒔が今にも飛び出そうとするのを止めると、逆上されてしまった。
「京一は心配じゃないの? なんで、そんなに落ち着いていられるのさッ!」
目に涙をためて部屋を飛び出していった小蒔に、折角抑えたはずの怒りがまた込み上げる。
落ち着いてる、だと!? 誰が落ち着いてるものか。人の説明くらい聞きやがれ!
カッとなって、自分もつい飛び出してしまう。
 屋上に戻って、金網に両手をついた。
「…バカヤロウッ!」
醍醐へか、小蒔か、それとも自分に向けたものか分からない苛立ちを発し、京一は乱れた息を大きく吐き出した。
 ドアがギシッと軋む音が響く。
反射的に振り向くと、龍麻が追ってきていた。
京一と目が合うと一瞬足を止めたが、やがてゆっくりと歩み寄ってくる。
「…ひーちゃんか…。なんだよ、俺になんか用か?」
また乱暴に言い捨ててしまう。…駄目だ。妙に冷静なコイツを見てると、ついカッと…
京一はハッとした。
 ───なんで、そんなに落ち着いていられるのさッ───
…小蒔と一緒じゃねェか。
 バツが悪くなって顔を背けると、背中に囁く声が届いた。
「…心配…した。」
風に飛ばされそうな、消え入りそうな声で。聞き間違いかと思ってしまうような儚さで。
思わず龍麻を見上げると、無表情な面が真っ直ぐ京一を捉えていた。
…………。」
 髪が風に飛ばされて、意志的な瞳が見え隠れする。
冷静に見えても、龍麻は決して冷淡な人間ではなかった。そう見えるのは、その強い意志のせいだ。何をすべきか、今一番大切なのは何かを知っていて、決して迷いを見せない。だから酷薄に感じたり、逆に頼もしいと感じたりする。
今も、みんなで醍醐を探すことが最優先だと判断したから、京一を捜しに来たのだ。
心配した、という言葉に嘘はないだろう。自分のことも、醍醐のことも心配し、その上で最善の行動を取っているに過ぎない。
 そういうお前だから、信頼出来るんだよな。
感情の波に翻弄されることなく、ただ静かに佇む龍麻を、その時の気分で「頼もしい」と感じたり「冷たい」と感じたりするのは、こちらの勝手な思い込みだ。
そう解ってみれば、自分や小蒔のように感情に流されやすい者にとって、龍麻は頼もしい道標であった。
「…お前の顔見たら、ちょっと、ホッとしたよ。」
そんな風に言ってみると、返事の代わりに、龍麻は隣に腰を下ろした。
 じっと視線が注がれるのを感じる。何でもいいから話せ、と言われているような気になって、京一は思わず弱音を吐いてしまっていた。
「なんで…なにもいわねェでいなくなったんだ、醍醐…。俺たちは、仲間じゃねェのかよ…。」
じっと聞き入っている気配を感じる。
…聞いてくれるんだな。こんな下らねェ愚痴を。
「醍醐は、俺たちのこと仲間だと思ってなかったってことか…」
そうじゃないことは分かっている。だが、言わずにいられなかった。自分が否応なしに感じてしまった疎外感を、ついぶちまけてしまった。
…情けねェな…
 口を閉ざすと、それまで黙って聞いていた龍麻が、ふいに京一の肩に腕を回してきた。なだめるように、肩を叩く。その様が、恐る恐るといった感じで妙にぎこちない。
心を開くまいとしながら、それでも京一を慰めたい気持ちを抑えられない…そんな龍麻の葛藤を表すようだった。
すぐ横にある顔を見つめる。黒々とした、吸い込まれてしまいそうな光を放つ双眸が、はっきりした意志を伝えてくる。「一緒に醍醐を救けに行こう」と───
「お前…イイ奴だな。」
そう言って笑いかけると、一瞬龍麻の顔が歪んだように見えたのは、京一の錯覚だったろうか。
 龍麻の不器用な気遣いが、心から嬉しかった。
そうだよな。相手が拒んでも、誠意を見せれば通じる。現に俺は今、こんなに救われたじゃないか、ひーちゃんのお陰で。
少し気が楽になって、京一は立ち上がった。
今度こそ、醍醐を捕まえて、俺達の気持ちをぶつけよう。奴が理解するまで、何度でも。

 しかし、やはり敵も様子を窺っていたらしい。
岩角と名乗った巨体の鬼面が行く手を阻んだのだ。
(…ってことは、醍醐が龍山邸にいるってのは、どうやら正解のようだな。)
そんなことを思いながら、袱紗から木刀を取り出そうとして、ふともう一本刀が入っていたことに気付く。昨日から持ち歩いていたのだ。
宝珠の封印で出現した刀───。一瞬迷ったが、使い慣れた木刀の方を手にした。
「…やでッ。あいづらを、倒せッ。」
岩角の命で、バラバラと鬼道衆が現れた。雑魚だが、数が多い。
長期戦になるな───
京一は木刀を中段に構え、戦闘態勢に入った。

 思った通り、一体一体は大した敵ではなかったが、とにかくキリがなかった。次から次へと湧いて出るように現れる。一撃必殺で屠りつつ、額から流れる汗を拭く余裕すらない。
おかしい、いくら何でもこんなに敵が出てくる筈がねェ。
一瞬の疑念が、京一に呼吸を乱させる隙を作った。間髪を入れず鬼面が襲いかかる。すんでのところで攻撃を交わし、相手の体を流した姿勢から強引に木刀で薙ぎ払った。
 パキッ───
腕に伝わる衝撃が少ない。それに気付いた後、乾いた炸裂音が耳に届いた。
手に残った木刀は、手元の半分のみであった。折れ飛んだ先端部は辺りには見あたらない。
 ───しまったッ。
力任せに、<<気>>の流れに逆らえば、如何な銘刀であろうと容易く折れてしまう…
師の教えが頭によぎる。
役に立たない木刀を投げ捨て、来るべき次の攻撃を避けるべく身構えたが、持ち堪えられる時間はそう長くはなさそうだった。
「…京一ッ!!」
 鋭さの中に、動揺が混じった叫声が飛んだ。
正面の、今にも飛びかかろうとしている鬼面の向こうに、敵に包囲されたまま京一の元へ駆けつけようとしている龍麻が見える。
───馬鹿ッ! 危ねェッ!)
追い縋る鬼面の斬撃が龍麻を捉えた。
一瞬ぐらついたが、しかし振り返りもせず、真っ直ぐに京一の元へ駆けてくる。
そのままの勢いで正面にいた鬼面を殴り飛ばすと、周りを取り囲む敵から京一を護るように立ち塞がった。
その背中は、真っ赤に血塗られていた。
(ひ…ひーちゃん…ッ!)
 Yシャツごと爪で切り裂かれた傷は、見た目ほど深くはなさそうだが、出血がひどい。
どんな時も沈着冷静に指示を出してきた龍麻が。
自分を救うために、危険を冒して。
怪我まで負ってしまった…
 衝撃と絶望で呆然とした京一に、背を向けたままで龍麻が叫んだ。
「京一ッ。刀はッ!?」
一瞬何のことか分からず考える。
(かたな───刀…? 何のこと…だ? それより、ひーちゃん…回復を。早く、そのままじゃ血が…俺のせいで…)
怪我を負っているとは思えないほどの<<気>>を放出し、周りの鬼面どもを圧倒しながら、ちらっと龍麻は右後方を見やった。
投げ捨てた袱紗を思い出す。…そうだ、刀!! 目青不動尊で入手した刀だ!
 我に返った京一は、すぐに駆け出した。急いで戻って、龍麻を救けなければ。迷っていても、出血がひどくなるばかりだ。
袱紗を拾い上げ、刀を抜き出し、鞘を捨て、振り向きざま技を放つ。
裂帛の気合いからの一振りは、地を這うように空気を鋭く裂いて進み、龍麻の右脇に群がる数体の鬼面を瞬時に切り裂いた。
 鍔鳴りがする。
自分の<<気>>に共鳴している。
集中するでもなく、<<気>>が刀に送り込まれていく。
霊刀、という言葉が胸をよぎった。
…なんて刀だ。
 これならもう少し保ちそうだな、と思いつつ龍麻を見やると、後方で身を守っていた美里が、強引に怪我を回復しているところだった。
(有り難てェ、美里。)
まだ周りに残っている鬼面に練気を飛ばし、美里に邪魔が入らないようにする。
敵が近寄らないうちに、二人の元へと駆け戻った。
「有り難う。」
そう言った龍麻の顔に、ほんの僅かな笑みが浮かんでいた。美里が嬉しそうに笑い、少し後ろに下がって身を守る。
…良かったな、美里。ひーちゃん…。
 京一は、手にした霊刀を強く握りしめた。

◆ ◆ ◆

 何十分、いや何時間そうしていただろうか。
流石に腕が上がらない。横に立つ龍麻が僅かに呼吸を乱しているのを感じつつ、砂と血の混じった唾を吐き捨てた。
「…岩角とかいったか───、こんな雑魚じゃ、俺たちは斃せねェぜッ!」
聞き取りにくいくぐもった声が、ぐぐっと嘲りの色を含む。
「…ながなが、やる。…だども、息が上がっでる。」
 岩角の言うとおりだった。
「京一くん…。」
不安げな美里の声に、誰のためともなく呟く。
「もうすぐだ───もうすぐ、やつらが戻ってくる…。」
それまで後ろに陣取っていた巨体が、ずしりと前に出てきた。とうとう自ら参戦するというわけだ。
醍醐と桜井が駆けつけるのを待っているワケにもいかないらしいな。
「ひーちゃん───お前も、覚悟決めろよッ。」
………ああ。」
いつも通りの、応え。ふいに、その声をどれだけ頼りにしているかを気付かされる。
「…頼りにしてるぜッ。」
心から告げて、京一は左半身に構えた。
俺の左は、お前に預けたからな。

 突然、京一達に迫ろうとしていた鬼面の軍団の一部が崩れた。
「待たせたな!」
耳に馴染んだ声。
「お待たせッ!」
嬉しそうな、弾むような響き。
…ホントだぜ、待ちくたびれちまったっての。
「き、きざまらッ。え、炎角は…」
「へんッ。あーんな弱いヤツ、ボクと醍醐クンでやっつけちゃったよ! ねッ。」
「ぐ、ぐおおおおお!」
小蒔を庇うように前に出た醍醐と目が合う。
そこに、迷いの色はなかった。
「…桜井、もう少し下がってろ。」
「うんッ。」
醍醐が目を見開いた。烈しい怒号と共に、強烈な<<気>>が醍醐の中から放出され始めた。
途端、鬼面の群がざらざらと崩れた。残された十数体の雑魚以外は、岩となって転がっている。どうやら、まやかしの一種だったらしい。
 完全に迷いを吹っ切った、そう考えて良いんだな。
人とは異なる姿を晒し、真っ直ぐ敵を見据えている友に、京一は安堵の溜息を密かに漏らした。

 岩角との勝負は、その後続々と駆けつけた仲間の助力もあって、意外にあっさりとついた。
龍麻が「仲間達」に「有り難う」と声をかけている。
「醍醐君の<<気>>を感じ取ったのでね。役に立てたようで嬉しいよ。」
如月が微笑むと、隣でアランも笑う。
「風がダイゴのことを、教えてくれたヨ。龍麻、間に合って嬉し〜ネッ。」
「少しはお役に立てたなら嬉しゅうございます。」
「ケッ、雑魚ばっかじゃオレの腕も振るいようがねーよッ。つまんねーなッ」
「もう、姉様ったら。」
織部姉妹も同じ理由で駆けつけたのだろう。
 頭を下げたり握手したりしている龍麻から目を離し、何を言おうか迷っているらしい醍醐の前に立った。
ここで、自分の気持ちをハッキリ言っておかなければならない。でないとコイツは、これからも同じ間違いを犯すだろう。
自分一人で背負い込み、自滅するという間違いを。
「こんなヤツとこれからも一緒に闘わなきゃならねェなんてよ。」
 強めに否定すると、案の定醍醐はあっさりと退いた。
「京一…お前は俺にとってかけがえのない友だった。もう会うこともないだろうが───
そうかよ。「かけがえのない友」でも、言い訳一つしようともせず、身を引いちまうんだよな。
そういう態度が、「その程度にしか思ってない」と俺たちを落胆させるのだと、まだ分からないのか。
 京一は、思い切り醍醐の頬を殴った。木刀があったら、そいつで殴りたいところだった。
非力な俺の素手で済んで良かったな、醍醐。
 前にも言った台詞を繰り返す。理解できるまで言い聞かせる。
俺たちは仲間なのだと。互いに信頼しあって初めて、未だ全体像の見えない敵と闘っていけるのだと。
 醍醐が笑い出した。
「俺も、京一に説教されるようじゃ、まだまだ、修業が足らんな…」
「こうみえても、俺は苦労人だからなッ。」
混ぜ返すつもりで言ったのだが、醍醐は妙に真剣に頷いた。
「…ああ。」
ちッ。なんで俺がこんな役やんなきゃなんねェんだ。
「京一、ありがとう。俺は───お前たちに会えて良かった…」
これだから嫌なのだ。醍醐は真面目なので、何でも正面から捉えてしまう。
急に照れくさくなって京一は顔を逸らした。
仲間たちが嬉しそうに笑っている。
 …まァいい。これで少しは醍醐も仲間を頼ることを知っただろう。これでいい…。
後は…
少し離れたところで、仲間を眺めている龍麻。
あの心を開くには、醍醐のように一発殴って…というわけにはいかないだろう。
それでも、先ほどの美里との触れ合いを目撃したことが、少し京一を安心させていた。
…少し、荒療治が必要かな。ひーちゃん、ちょいと覚悟してくれよ。
 久々にスッキリした気分で、あれこれ策略を練り始めた京一だった───

07/15/1999 Release.