之壱

召呼

 物心がついた頃には、既に忍としての教育が始まっていたので、僕には「普通」の、「学生」の「日常」などというものは分からない。普通の人間として生活してみたい、という憧れも少しはあるが、それよりも、祖父から受け継ぎ、先祖から脈々と受け継がれてきた飛水家の使命を果たすこと。その責任と誇りの方が、遙かに重大だ。
この僕だけが受け継いだもの。飛水家のお役目。玄武の力。忍として身につけた技と、精神力。
「忘れるでないぞ、翡翠。決して心たやすく動かされるな。迷いを見透かされるな。お主は、この東京を守護する最後の「飛水」なのじゃ───
 客足が途絶えたので店内の在庫確認をしながら、なんとなく祖父の言葉を思い起こし、自分の為すべき事に思いを馳せていた───そんな、ある夕方のことだった。

「へーッ。骨董品屋なんて、初めて入るぜ。」
 からからと軽やかな音を立てて店の引戸が開き、如何にも脳が足りなさそうな若い男の声が聞こえた。
振り向いて、「一応」営業スマイルを浮かべてやる。
「いらっしゃい。」
見ると、この周辺では見掛けない学生服を着た高校生が三人、入り口で店の中をジロジロと見渡しているところだった。
───脳が足りなさそう、というのは正しい直観だったな。金も無さそうだ。一緒に周りを見渡している女生徒も、残念ながら金回りの良い人物には見えない。…後ろの一人は…よく見えないが、似たようなものだろう。───
 一瞬にして、この一見の客は上客になることはない、と看取した僕は、早めに追い出すべく、更に営業スマイルを深くして「何の用だい?」と尋ねてやった。
大体うちは、上質の骨董が主な取扱品であり、そこらの汚らしい古物店とは比べ物にならない高級店だ。
一介の学生がフラフラ入って来て、ベタベタ触って良い品などない。
「おい、小蒔」
「え? あ、うん! え〜っとね、コレなんだけど」
小蒔と呼ばれた女生徒は、鞄の中に手を差し込み、ゴソゴソと探し回った末、一つの指輪ケースを取り出した。
「何だ、その箱。お前が用意したのか? 気がきいてんじゃねェか。」
「ううん、葵が持ってきたんだよ。傷つけないようにって。」
「っだろ〜なァ。ガサツな男がそんなに気がきくワケないもんなッ」
「! 何だとォッ? 京一ッ!」
 全く騒がしい。楽しい青春を謳歌するのは勝手だが、出来れば余所でやって欲しい。
「店の中で暴れないでくれないか。」
君たちのためでもあるのだから。もし、そこの壺を落としたら、恐らく君たちの小遣いでは足りないだろう。君たちの親が、愚かで可愛い子供のためにとコツコツ貯めてきた進学資金を、全てつぎ込むことになるのだ。
「ご、ごめん。コイツが凄くバカだから…」
「何だよッ。てめぇが手を出して来たからだろうがッ」
「喧嘩売ってきたのはそっちだろッ!」
 …温厚な僕でも、流石に苛ついてきた。…いかんな。如何なるときでも平常心を保つこと。これも精神修養の一環と思えば、誠に良い修練じゃないか。
 何とか「帰れ」という言葉を飲み込んだとき、スッ…と、闇の中から手が現れ、赤毛の馬鹿面の腕を掴んだ。途端、赤毛が口ごもりながら「そ、そうだったな、こんなことしてる場合じゃねェな」とボソボソ言い訳をしつつ大人しくなってしまった。
 …?
奇妙な感覚だった。清潔で明るい(勿論それでいて派手すぎず、落ち着いた雰囲気を醸し出している)僕の店の中で、何故、「闇から」手が伸びたように見えたのだろう?
 手の持ち主は、店に入ったときからずっと赤毛の後ろに隠れていた男だった。改めて見定める。
赤毛や女生徒とは、随分と異なる雰囲気を持った青年だ。煩わしい髪型が気になるが、落ち着き払った態度がなかなかに好ましい。第一、一言も発せずに赤毛を黙らせた今のやり取りから見ても、この男が「主格」なのだろう。

「そうそう、コレなんだけどね。」
 そう言って、女生徒の方が指輪のケースを開け、中から指輪をつまみ出して見せた。
「鑑定つーか、どんなもんなのか調べてもらいてェんだよ。」
赤毛が言い添える。
たかが学生の持ち込むものなど、たかが知れている。そう思いつつ受け取った僕は、少なからず驚いた。
───これは…血石の指輪だね。」
取り立てて高価な物ではないが、その辺の子供が持っていて良い品ではない。値段そのものより、入手が意外に困難な石なのである。僕の店で扱った範囲でも、その出所は確かで、ある程度由緒正しいものばかりだった。
「これは、どこで手に入れたんだい?」
 女生徒の方を見つめながら訊いてみると、彼女は急に言葉に詰まってしまった。
「え…と、どこって言われると…が、学校の…あのう…」
「あ…イヤ、拾ったんだ。拾ったんだよ、道で。なッ」
「あ、う、そう、そう、拾ったんだよッ。えへへッ」
この単純コンビは嘘の付けない人種らしい。
「そう。道で拾ったなら、警察に届けるべきだと僕は思うよ。良い小遣い稼ぎになるとでも思ったのかい? この店では、出所のはっきりしない物を買ったりはしないんだよ。」
 きっぱりと言い切り、僕は店子机に戻って、これ見よがしに帳簿を付け始めた。これで大人しく帰るだろう。
………
三人は顔を見合わせているようだ。
「…あの、売るっていうか…コレ、何かその…特別な力というか、意味というか…分かんないかな?」
「呪われてたりしてねェかって、訊きてェだけなんだよ。」
……。」
 もう一度、僕は彼らを見上げた。三人の顔を見渡し、赤毛の苛立たしそうな顔、女生徒の途方に暮れた顔、そして「主格」と思われる男の…顔に、目を留めた。
商売柄、客の表情や態度で、ある程度のことは見抜ける自信がある。損をしないためのテクニックだが、そうやって他人の心の機微を掴むことで、己の感情を律するための勉強にもなるのだ。
この場合は単純そうな二人の態度から、指輪の出所があやしいこと、犯罪と関わるほどのものではないが、人に褒められるような入手経路ではないことが推察された。だが…
この僕にも、腹の底を読ませないとは。なかなか侮れない男だな。

「まじないや呪いは、ウチの管轄外だ。鑑定しろと言われれば、勿論出来ないこともないが、仮にだ、『呪われていない』と僕が言ったとして、君たちはそれをどうするつもりなんだい? 警察に持っていかないのか?」
 僕は、主格の男に向けて、そう訊いてみた。
残りの二人も、困ったようにその男を見つめる。
主格が、顔を上げた。
………。」
………。」

 虚無───

 いや、そうではないな。前髪で隠されているため、表情が見えにくいだけだ。
隙間から覗く瞳の輝きは、少なくとも僕が常に心懸けている「無心」のものではない。強すぎる。
…しかし、その瞳を隠している理由は何だ? 表情をここまで消し去る理由は?
「ちょっと店主を騙して金をせしめよう」といった奸計を隠そうとしているだけ、だろうか。
それにしては、堂に入っている。
「…龍麻、帰ろうぜ。話になんねェよ、こいつは。」
 僕があまりジロジロと見ていたためか、赤毛はムッとしたようだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、京一。だって、葵があんなに気にしてるんだよ? この指輪、何か…」
「しょーがねェだろッ? 鑑定出来ねェッて言ってんだからよ。」
「…待ちたまえ。『出来ない』などと言った覚えはないよ。その程度の知識と経験はあるからね。ただ、出所のはっきりしない品を鑑定させて、一体どうするつもりなのか、と訊いたまでだ。」
赤毛が、口をへの字に曲げる。馬鹿面が益々ひどくなるようだ。
「ケチくせェこと言うなッ。ちょっと、問題があるのかねェのか訊きてェだけだッつってんだろ!」
「理解らない人だね。ケチくさいも何も、元々それを鑑定しようがしまいが、僕には何の損得も生じないんだよ。第一、血石の指輪というのは確かに数の多いものではないけれど、高価な宝石ではないんだ。」
……
「その謂われや、石の持つ意味を君たち(ごとき)に語ったところで、何かの足しになるとも思えないけどね。そういったことを知りたいわけではないだろう?」
……
髪の色に近いほど、赤毛は顔を赤く染めた。
「…てめェ、さっきから俺たちをナメてやがんなッ!」
おや、分かったか。知能がゼロというわけでもないな。尤もこの人種は「馬鹿にされる」という行為にだけは敏感なものだ。
「ちょっと待ってよッ。京一、落ち着きなよ!」
 慌てた女生徒が僕たちの間に入ろうとして、手にしていた指輪ケースを落としてしまった。
「あッ…」
塵一つ落ちていない床に、大きく撥ねたケースは、そのまま「龍麻」と呼ばれていた男の前に転がった。

 「龍麻」が、ス…と動いた。

 真っ直ぐに伸びていた上半身を屈め、脇に下げていた左手をひらりと返し、膝を曲げることなく足元の箱をすくい上げる。 あたかも、水が流れるような自然さで、元の通りに身体を起こすと、二歩、前に出た。
…何と無駄のない動きだろう。
先ほど、闇の中から閃いたように見えた手の動きを思い出す。この無駄のなさが、僕に錯覚を起こさせたのか。まるで気配を断っていたかのような───

 そう考えて、ハッとした。気配を…断っていたのか。だから、忽然と姿を現したように感じたのか。

まさか、この男は…僕と同じく、忍びの修業を受けた者なのか?

 彼の動きに注目する。
そんな筈がない。だが、この無駄のない動きは、訓練されたものの所作だ。
そのとき、彼が初めて口を開いた。

「…<敵>が、落としたものだ。」
……!?」
「た、龍麻!」
「緋勇くんッ!?」
 単純二人組が、ギョッとして彼を振り向いた。
…敵…だって? …まさか。
「<敵>とは、どういう意味だい。」
声が興奮で震えないよう、静かに尋ねる。まさか、まさか彼は…本当に、忍びの者なのか? 僕と同じ宿命を持っているのか!?
………詳しくは、言えない。」
……
 彼は、僕のことを知っているのだろうか。だから、このような話をしたのだろうか。
眼は決して合わせてこない。表情からも、何も分からない。
どういうことなんだ。どう考えれば良いんだ。

……呪われてなどいない。この指輪には不思議な力が秘められていて、身につけた者に活力を与えると言われているんだ。大事にするがいい。」
 驚いて目を剥いている二人組に挟まれ、表情を抑えたまま「緋勇龍麻」が頷く。
僕はニッコリ微笑んで立ち上がり、彼と向かい合うようにして、「さあ、箱を」と言った。
 僕の勘が正しければ、「緋勇龍麻」は敵ではなかった。敵なら、このような回りくどい真似をするメリットがない。こんなに怪しげに接触してくるリスクの方が大きい。他の二人も敵のスパイにしては単純すぎるし、どちらかというとお人好しの部類だろう。
 だが、この男が僕と同じ宿命にあろうと、僕のことを知っていようと、「優位」に立っておかねばならないことには違いない。
優位に立っていれば、どのように状況が変わっても、冷静に対処出来るものである。基本的な兵法だ。
彼の差し出した箱を、彼の左手ごと掴んで、またニッコリと微笑んで見せた。
「緋勇」は驚いたらしい。手が触れた瞬間、ビクリと指に力が入るのが分かった。だが、それでも顔には出さない辺りは驚嘆に値する。
 そのまま箱の蓋を開け、血石の指輪を戻す。
パチン、と閉めて、もう一度繰り返した。
「大事にするといいよ、『緋勇君』。」
 今度は大きく頷いた。
一瞬だけ、眼が合う。
彼の体内に流れる<気>が、掌を通して流れ込んできたような気がする。
懐かしいような、清々しいような───
「何してやがんだッ?! てめェ、ヘンタイかッ!!」
 野卑な声に、その感覚は消え失せてしまった。内心舌打ちをしながら、声の主にわざとらしい笑みを浮かべてやる。
「心外だな。君がどんな趣味を持とうと構わないが、勝手な邪推をして嫉妬しないでくれないか。」
……ッ!!!」
ふん。くだらない事を言うからだ。勝手に赤くなっていろ、猿が。
 僕は、もう少し苛めてやりたくなって、また「緋勇」に微笑みかけた。
「また何かあったら、気軽に寄ってくれ。」
赤毛の辺りから強烈な「怒気」を感じて笑えてくる。この腰巾着は、余程君が好きなんだな、「緋勇」君。
「…闘いに役立つものも、置いてあるから。」
 少し真面目に、言い添えてみる。
間を置いて、「緋勇」は「ああ。…また。」と頷き、店を出ていった。
後に続いた二人の声が、しばらく店の外から聞こえていたが、やがて静けさを取り戻した。

 ───お主は、この東京を守護する最後の「飛水」なのじゃ───
何かが起きようとしているのかも知れない。
役目を果たすべき時が、近づいているのかも知れない。
漠然とした予感と、掌に微かに残された「緋勇」の<気>が、僕に高揚感をもたらした。

 僕と、彼───緋勇龍麻との出逢いは、このようなものだったのである。

05/27/1999 Release.

このSSの性質を如実に表す逸品ですね(笑)

by 円(原画はこちら)