拾壱
之参

醍醐の憂鬱 II

───ちょ…ちょっと緋勇クンッ!」
 慌てたような桜井の声に、龍麻が振り向いた。
 龍山邸での鬼道衆との闘いの後。
集まった仲間全員でラーメンでも食べに行こうという話になっていた。
がやがやと公園の出口に向かいつつ、俺と桜井は並んで、後日改めて龍山先生の処へご挨拶に伺おうなどと話をしていた。
そして前方を見やり───気付いたのである。
「背中ッ…怪我してるじゃないか!」

 よくよく見れば、既に治療済みで怪我は跡形もなかったが、着ていたYシャツは背中の部分が大分裂かれ、乾いてしまった血で、上半分近くがどす黒く染まっていた。
流石にこれでは街中には戻れまい。
 ふと思いついて、俺は自分の学ランを脱ぎ、龍麻にかぶせるように着せた。
それ程貧弱な身体付きには見えないが、流石に俺の学ランでは大き過ぎるようだ。大きめの学生服を買ってもらった新入生のようで、そう考えれば微笑ましい気もする。…が、男として格好が良いものではなかった。
「…まァ、自宅に着くまでの辛抱だ。」
 俺の気持ちは伝わったのだろう。コクリと頷くと、龍麻は両袖に腕を通しながら「有り難う」と呟いた。
…ここまでは良かったのだ。

「…ちょっと待て。」
 前を歩いていた京一がツカツカと龍麻の方へ近寄るのを見て、俺は嫌な予感がした。
今回の事件で色々と思い悩み、京一のお陰で自分なりに、自分の気持ちの整理をある程度付けることが出来た、と思う。奴には心から感謝している。だから、もし京一が困っているならどんなことでも助力しよう、望みがあるなら協力を惜しむまい…と先ほど決意をしたのだが…
 龍麻の正面に立ち、足元から頭の先まで睨め上げた京一の頬に、うっすらと赤みが差す。
…始まったか…。
「…ひーちゃん。脱げッ!」
 ビシッと竹刀袋を突きつけて、ワケの分からないことを言い出す京一。
「そ、そんなデカい学ラン似合うわけねーだろッ。みっともねェから脱げっつってんだよッ。」
………。」
龍麻は無言で、俺の方を見つめる。困っているのかも知れないと思い、一応京一に諫言をする。あまり効果は期待せずに。
「しかしな京一、このままでは龍麻はメシどころか、街の中を歩くのも目立ってしまうぞ。」
「こんな格好させたら、やっぱり目立つじゃねェかッ!」
「…どうしてだ?」
京一はぐっと答に詰まった。やはりな…。
 俺が思うに、京一は龍麻が俺の服を着たことに嫉妬しているのだ。そんな感情を男同士で抱くなど、俺には理解出来ない。だが、京一が女性を愛するように龍麻に好意を持っているならば、そういう気持ちにもなるのだろう…不気味ではあるが。
「…どーしてもこーしても…こんな…だから…」
 しどろもどろになっている京一の後ろから、ひょいと脳天気な声が飛んできた。

これのどこがキュートなのか。

「OH! 龍麻〜。とてもキュートねッ。」
…何やらまた妙な単語を…。
 このアランという男も、あまり人の話を聞かずに好き勝手なことを喋るので、会話をするのに少々忍耐が要る。今も、ワケの分からないことを言い出しそうな予感がしたので、遮ろうとしたのだが。
「何だか、ダンナサマのパジャマを着た、シンコンさんのワ〜イフみたいだネ〜!」
如月と雨紋が盛大に滑って転んだ。
「はァッ!?」と声を揃えて呆れているのが桜井と織部姉。流石に織部妹と美里は目を丸くしているだけだ。
「こッ…バッ…」
肩を振るわせながらアランを睨み付けた京一が、慌てて龍麻を振り向き、何か言い訳でもするつもりだったのか、口を開いた。
だが、その顔がみるみるうちに真っ赤に染まる…。
(…つまり、京一も、アランと同じセンスだったというワケか…)
俺は思わず溜息をついた。…これでは、どうあっても龍麻は俺の学ランを着て帰ることは出来まい。

 突然、京一が開襟シャツを脱いだ。
「きゃっ!?」
「バッ…て、テメェ! 何ストリップやってやがんだよッ!…見るなッ、雛!」
「きょ、京一〜ッ!?」
女性陣が慌てる中、京一は脱いだシャツを龍麻に突きつける。
「…こっち着とけ。」
…………
「いーから着ろッ。その学ランは俺が着るから! ホラッ!」
……ああ。」
 きっと、逆らっても仕方ないと龍麻も判断したのだろう。大人しく脱いで、学ランを京一に手渡す。
そして少し迷った末、京一のシャツを受け取った。
………洗って…返す。」
「お…おう…い、いや、別に構わねェぜ、そのままで…。」
「つーか龍麻サン。洗ってから着た方がいいンじゃねェか? 京一の馬鹿が伝染るぜ。」
「うるせェ、雨紋ッ! 大体てめェに呼び捨てにされる覚えはねェんだよッ!」
 くだらない言い合いの中、龍麻は、ボロボロになったシャツのボタンを一つ一つ外し、スルッと脱いだ。
…………。」
京一のときに上がった悲鳴が全く上がらないので、思わず女性陣を振り返ると、織部・姉と桜井は興味深げに龍麻を見ていたし、美里と織部・妹は少し恥ずかしそうに俯いていた。
…大分と反応が違うな。龍麻の人徳ということなのか…京一に信用がなさ過ぎるのか。
 その時ふいに、今まで静かに見守っていた如月が、龍麻の前に出た。
「僕のカーディガンを着るといい。2枚着ているのは、どうやら僕だけのようだしね。」
既に脱いでいた薄手のカーディガンを龍麻に手渡し、龍麻の持っていたシャツをとる。
「蓬莱寺、さっさとその身体を隠したまえ。女性陣が困っているだろう。」
「…き、汚ねェもんみてーに…」
「美しいものじゃないだろう? いいから早く着たまえ。…さあ、龍麻。遠慮することはないよ。」
……済まん。」
 京一。頼む。その刀の柄から手を離してくれ。いつもの木刀と違って、それは本身だろう。
…もしそのとき、龍麻が京一の様子を察して、肩に手を置き「有り難う」と言ってくれなかったら、京一は本気で抜いていたのだろうか。……

「…醍醐クン…だいじょぶ?」
 ふと気付くと、こめかみを押さえていた俺を心配そうに桜井が見上げていた。
「い…いや、何でもない…」
「…そう? でも……。醍醐クン、もう一人で悩んだりしちゃダメだよ? ボクたちがついてるから…ねッ。」
有り難い言葉…だが、流石にこんなことは桜井には話せない。
俺は、俺自身のことよりもっと恐ろしく、もっと解決が困難なことに直面しているのだ。先刻まで何に悩んでいたのか忘れてしまいそうだった。
 先ほどまで感じていた爽快感が消し飛んで、新たに辛く苦しい重荷が背中にのしかかるのを感じつつ、俺はヨロヨロと歩き続けた───

07/19/1999 Release.