007. 過去 ...【散文的小咄

散文的小咄

 俺の目の前には、三文芝居のような下らない光景が展開されていた。
≪生徒会執行委員≫だった取手が、手にした楽譜を見つめながら、ポツリポツリと姉の事を語る。
「姉さんは言っていた……。『かっちゃん、音楽と人の心は似ているの。人の想いがいつまでも失われる事がないように、音楽もまた、大切な人の心に残っていく。』と。」
時々目元を拭ったり、鼻を啜ったりしながら、八千穂はその話を聞いている。
そしてそれ以上に、遠慮無く号泣しているのが、取手の前にペタリと座り込んだ葉佩だ。
見た目も子供のようだが、その泣きじゃくり方は、幼児そのものだった。
「『音楽がある限り、私はあなたの心に生き続ける。だから、この曲をいつまでも忘れないで』と……。なのに、僕は……
「取手サン……ッ。」
 葉佩が、俯く取手の手を取ってしっかり握りしめる。
「ご自分を、お責めにならないで下さい。御姉上を喪って、どれ程辛かったか……私、よく解ります。大変よく解ります。」
……葉佩君……。」
「信じたくないです。まだ生きているって思い込みたいです。忘れてしまいたいです。大切な人の、大切な言葉さえ、思い出せなくなります。辛くて、悲しくて、全てから逃げたくなります。」
 しゃくり上げながら、葉佩は続けた。
「でも、取手サンは、御姉上の大切な想い出も、言葉も、取り戻しました。取手サンは、偉いです。御姉上もきっと、そんな取手サンを、誇りに思っていらっしゃいます。取手サンの心の中に生き返って、喜んでいらっしゃいます。絶対に、喜んでいらっしゃいます。」
……。ありがとう……僕は……。」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で、必死に言葉を繰り返す葉佩。
取手の頬にも、涙がこぼれ落ちる。
見ていられない。
いたたまれなくなって、俺はとりあえず強引に話を打ち切らせた。
「おい、いい加減≪(ココ)≫から出ようぜ。そろそろ夜が明けちまう。」
「あ……、は、はい。」

 遺跡の出口へと戻りながら、葉佩の台詞を頭の中でリピートしてしまう。
───忘れてしまいたいです
───辛くて、悲しくて、全てから逃げたくなります
……ちッ。)
 気分が悪い。
先程点けたばかりのパイプから、ラベンダーの香りが漂う。
深く吸い込んで頭を冷やす。

 俺は、覚えている。
 だから、思い出す必要はない。
 取手とは違う。

 気持ちを落ち着かせ、もう一度考え直してみた。
葉佩の台詞はやけに実感がこもっているようだ。
いつも脳天気に笑っている。赤の他人の身の上話に本気で同情して泣く。
余程気楽にお幸せに生きてきた奴かと思っていたが……
(お前もそうなのか? 大切な誰か───何かを喪った事があるのか?)
 まだ涙が止まらないのか、ぐすぐす言いながら袖でゴシゴシと顔を拭いながら前を歩く小さな背中を、ぼんやりと見つめる。
…………。)
……どうでもいいか、そんな事。
同情でポロポロ泣く奴だ、家族が死んだなんて話を聞けばこれぐらいの反応も当たり前なんだろ。
たとえこいつの過去に何かがあったとしても、俺には関係のない事だ。

 翌々日、音楽の授業が音楽室でのピアノ鑑賞に変更されたと聞き、俺は適当な口実を言い残して校舎を出た。
ピアノの演奏なんてしばらく聴きたくない気分だった。
 取手に同情する気はない。取手の姉の話も何とも思わない。
死に別れる現実を、ただ普通に受け止めればいいだけの事だ。奴はそれが出来なかった。
 何が起きたって、何も変わりはしない。
忘れる必要もなければ、覚えている必要もない。悲しむ必要もない。
あいつはただ自分の悲劇に酔って、自分で自分を苦しめた上、苦しみの原因から逃げ出しただけだ。
……俺は違う。
 温室から勝手に引っこ抜いてきたラベンダーの花の束を、墓地の一番外れにひっそり立てた墓石の前に置いた。
───ラベンダーの好きな女だった。
そして、それだけだ。
それ以上の想い出などないし、想いもない。
あの時も、その前も、今も、俺は何も変わらない。

 それでいい。

2004/12/30(木) Release.

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