たたたたたたたッ。
近づいてくる軽快な足音。
軽いノック、続いてガラッと扉の開く音。
「葉佩。廊下は走らんように。」
「───ッ!? も、申し訳ありません!」
深々と頭を下げる気配が間仕切り越しに伝わってきて、瑞麗はフフ、と笑った。
失礼します、と言いながらカーテンを開き近づいてくる少年───18歳になる若者に少年は失礼かも知れないが、青年という風貌ではない───は、小首を傾げている。
「瑞麗センセイ、何故、私だと解るのですか? 足音がうるさいのでしょうか?」
「フフフッ。そういう訳ではないが───そうだな。君の足音は割と特徴がある。軽くて小刻みだ。」
「それは〜、私が小柄だと仰っているのですか?」
たちまち悲しげな表情になる。葉佩は人の言う事、やる事に逐一反応するので面白い。
「身のこなしが軽い、と言ったのさ。例えば、保健室によく来る者で言うなら、皆守はダラダラと歩くし、取手は走らない。」
「ああ、成る程です。流石は瑞麗センセイですね。」
そう言うと、葉佩は一瞬ひどく真剣な顔をした。
(時々この子は、こういう顔で私を見つめるが……一体何を考えているのだろう?)
どうかしたのか……と尋ねようとした時、また扉が開いた。
噂をすれば───というものか。たった今、名を挙げた生徒の一人が、間仕切りの上から顔を覗かせた。
「……やあ、九龍君。」
「あ、取手サン! カウンセリングですか? ……もしや、また頭痛がひどいのでしょうか?」
葉佩は慌てて駆け寄ると、心配そうに取手の顔を下から覗き込んでいる。
「いや、大した用じゃないから、大丈夫だよ……。心配してくれて、有難う……。」
「そんな、とんでもございません。だ……だって、えーと、えーと、私たちは……お友達ですから。」
ポッと顔を赤らめる葉佩。
「あ……そ、そうだね……友達だものね……。」
取手の白い頬にも朱が入る。
「……えへへッ。」
「フフフッ……。」
ちょっと怖いぞ、と思った瑞麗だったが、口は挟まず様子を見る事にした。
「そうだ、取手サン。私、先だって、プリクラを撮らせて戴いたのです。」
「あ……本当かい? 撮った事がないって言っていたよね。」
「はい。携帯で撮って印刷出来るものを、クラスメートが貸して下さったのです。やっと本当に、皆様の仲間になれたみたいで、大変嬉しいです。」
「良かったね……。……あの、それ……見せてくれるかい?」
「勿論でございます! えーと、か、可能でありますのなら、どうか……もらって戴ければ、光栄に存じますが、えーと……如何でしょうか……?」
「え? あ……いいのかい? 僕がもらっても……。」
「勿論です! いえ、取手サンだからこそ、お渡ししたいのです。だって、私達は……。」
「……そうだね。僕たちは、友達だものね。」
葉佩が両手で捧げるように差し出したプリクラを、やはりうやうやしく受け取った取手は、それを見て「ああ、九龍君らしいね」と呟いて微笑んだ。葉佩も「皆様そう仰います」と照れている。
どんなフレームなのか見せて欲しいところだったが、二人の世界はまだ続いていた。
「有難う……九龍君。僕の生徒手帳の、一番上に貼らせてもらうよ……。」
「ええッ?! そんな重要な位置に貼って戴かなくても、えーと、最後のページの、下の方で構いませんのですが……。」
「君は僕の、大切な友達だよ……。その大切な君が、初めて撮ったプリクラ……それをもらえるのなら、一番良い場所に貼りたいと思う……。これは僕の、君への友情の気持ちなんだ……。」
「ああ……取手サン……。私は、取手サンに出逢えて、本当に良かったです……。」
「九龍君……僕の方こそ……この出逢いが、現実のものだなんて、まだ信じられないくらいだよ……。」
「取手サン……。」
「九龍君……。」
流石に腹筋が痙攣しそうになってきたので、瑞麗はやっと、手を取り合ってうるうると見つめ合っている男子高校生2人に横やりを入れた。
「盛り上がっている所に悪いが、葉佩。取手に用だったのかい?」
「あ、いえ、違います。皆守サンを探していたのですが、こちらにはおいでではありませんか?」
「……いや、ここには来ていない。」
「そうでしたか。屋上にもおられませんでしたし、どこにいらっしゃるんでしょう。瑞麗センセイ、もし皆守サンが来られましたら、雛川センセイがお探しです、とお伝え下さいませ。」
「ああ、解ったよ。取手、君の用は?」
「……あ、いえ……ちょっと頭痛がしていたんですが、もう治りましたので……」
「そうか。また何かあったらおいで。」
「はい。失礼します。」
「失礼します、瑞麗センセイ。」
扉が閉められた後も、廊下から微かに
「一緒に3階まで帰りましょう」「勿論だよ……九龍君となら、ずっと一緒にいたいくらいだ……」「取手サン……」「九龍君……」
とか何とかいう会話がまだ続いていたようだったが、やがて聞こえなくなった。
声を殺してひとしきり笑った後、瑞麗は、一つ深呼吸をして立ち上がり、奥へと続くカーテンを開けた。
「…………大丈夫か?」
そこには、ベッドにぐったりと突っ伏した男子生徒が居た。
「……カウンセラー。」
「何だ?」
「俺はとても疲れた……午後いっぱい休む。とても立ち上がれそうもない。」
「気持ちは良く解るがな。ヒナ先生がお呼びだそうだ、行って来い。」
「保険医が病人を追い出すのか?」
「病気ではなかろう。」
「アレを聞いて、起ち上がる気力が残ってるとしたら、そっちの方が病気だ。」
「ハハハッ。───仕方がない。30分だけ許してやるから、ちゃんと職員室へ行くんだぞ。」
「ちッ。」
瑞麗はもう一度笑ってカーテンを閉めた。
高校生たちの相手も退屈はしないものだな、と一人ごちながら。
2004/12/06(月) Release.
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